エッセイ集のバックナンバー No.2
2006年8月4日〜2009年3月13日 ( 2005年4月6日を含む)

目次(クリックして頂くとその記事に飛びます)

HPでは新しい文章がトップに来ますが、バックナンバーでは古い記事を初めに持って来て普通の書物の様に並べてあります。
第8回以前はバックナンバ-のファイルno.1に


第9回
私のバッハへの賞賛
第 10回
爪(2006/8/4掲載)
第 11 回
練習(2006/8/6掲載)
第 12 回
アルテュール・ルービンシュタイン(2006/8/6掲載)
第 13 回 
サッカーブーム (06/9/15掲載)
ブログからの転載 
日記・第1部
ギタリスト達のレベル、私のファン、ギターには詩情、情報化社会を言われている、たまに古い楽譜を、なみだ
歌行灯、立体、限界効用逓減の法則、立体的な音楽とは
日記・第2部
音楽演奏での1は0、楽曲は例えば一つの建物、再度1=0、2=1、の問題、イタリアのシエナでーーヴィブラート
ヴォルボ、マン島、真っ赤なネクタイ、ジュリアン・ブリーム、
再度ジュリアン・ブリームの事、再々度ジュリアン・ブリーム
日記・第3部
賞味期限
第14回 指板の向こうに
第15回
私の先生-ベラさん、ことVillaveldeさん
第16回 
真に優れた音楽の2
第17回 
シエナ2 (08/5/18)
美味しいスパゲッティー
第18回 
コンサートを終えて (08/5/20)
「Sound of the Guitar 3」C.D.を聴いて!
第19回 
CD3発売直後に頂いた評価 
未だこのCDを聴いて居られない方々の為に。
第20回 ギター音楽の存在価値 
ギター音楽の存在価値は何処に在るのでしょう。
(一応第21回)春のコンサート曲目解説
(第22回)自 己 紹 介
(第23回)満員御礼
(第24回)プログラム解説追加
(第25回)フランシスコ・タルレガ - 追加の追加(九州のみ)
(第26回)「繊細な音色の力強い浸透力」
~松田晃演クラシックギターコンサート「スペインのギター音楽」
        2009年3月13日~ 
東京オペラシティリサイタルホール 
ギター演奏レビューno.1
(第27回)
最新評論  ギター演奏レビューno.2「名器トーレスとともに、いっそう輝きと深みを増す松田ギターの世界」
      
松田晃演クラシッックギターコンサート「スペインのギター音楽」
 2009年3月13日
 東京オペラシティリサイタルホール

 


第8回以前はバックナンバ-のファイルno.1に

第8回 わたしの弟子とその弟子(2006/7/4掲載)

第6回  高齢化社会への一提言(2006/5/12掲載)
(副題-私の先生-2、私の先生-1への補足)

第5回 私の先生-1(2005/5/8更新)

第6回  高齢化社会への一提言(2006/5/12掲載)
(副題-私の先生-2、私の先生-1への補足)

第9回
私のバッハへの賞賛

わたしは最近以下のメールメッセージを受け取った。発信者の了解を得てここに掲載致します。

表題ヨハン.セバスティアン・バッハの祝福(Der Segen von Johann Sebastian Bach)
マエストロマツダ
私はまったく困った事になっています。第一にCaroline(彼の妻)が階段から落ち背中を傷めたので、出来るだけ早くロンドンに行かねばなりません。(彼は仕事上フランスに、彼女は体調不良のためにロンドンに住んでいる)
私はなにもかも放りだしてしまいたいと思ったのですが、
天からの助けを求めて、
あなたのバッハのプレリュードを鳴らしたところ、この世の全てのトラブルが突如として消散したとは言えないながら、私はひと時の平和の気分に感謝した。
私は君がどんなに沢山この音楽のことを考えたか、そしてJohann Sebastian(バッハ)の声が君の6本の弦にどれ程多く話しかけて来るのを君が望んだか、にここに聞こえる。
Muchisimas gracias querido amigo.スペイン語で-本当に有難う!親愛なる友よ!
Cristobalin-(クリストファー・ニューパン自身の事)

クリストファー・ニューパン氏について
彼が製作した音楽映画はカンヌでWe Want the Light(今年度)とJacqueline du Pre in Portrait(昨年度)と連続して年度DVD賞を受けている。そして昨年はロンドンでユダヤ賞も受賞している。ちなみにこの賞はその前年スピルバ-グ氏も受けている。なおかれの制作発売しているDVD-『アンドレス・セゴビアのポートレート』-Andres Segovia IN PORTRAIT-ザ・クリストファー・ニューパン・フィルムズ、は日本でも好評発売中です。

原文
Date: Sun, 25 Jun 2006 16:08:19 EDT
Subject: Der Segen von Johann Sebastian Bach
Maestruda
I am in serious difficulty and on top of it Caroline has fallen down the stairs and injured her back so I must go as soon as possible to London.
I felt like giving up everything and so,
seeking help from the eternal,
I put on your Bach prelude and although I cannot say that all the troubles of the world suddenly evaporated, I was grateful for a sense of temporary peace.
I hear how much you have thought about this music and how much you want the voice of Johann Sebastian to speak to your six strings.
Muchisimas gracias querido amigo.
Cristobalin

 

第 10回
(2006/8/4掲載)

     昭和20年代、第二時大戦後、アルゼンティンのマリア・ルイサ・アニード女史が戦後始めての外来大物ギタリストとして来日公演をした。当時もっとも著名なギタリスト、ミゲール・リョベートの直系の弟子として、彼女は有名であった。リョベートはタルレガ直系の、もっとも傑出した演奏家である。
     アニード女史が来日公演をした当時の日本のギタリストや先生方、ギター学習者は(私も含めて)、ギター演奏法(平ったく言えば、ギターの弾き方)を何も知らなくて、ある記者がギター演奏においてもっとも大切な事は何かと質問をした。彼女は即座に「先生と爪」と答えた。今では良い先生は熱意をもって探せば、得られる(かも知れない)。
     爪についてはセゴビア先生は全く恐ろしい程冷たく「爪が悪いのならギターを弾くのは止めなさい」とまで言っておられた。また爪は柔らかくて強い事が条件であるとも。私見では爪は分厚いのも良いが形態も人によって違うので一概に良否は言えない。
     爪は生来のもので努力によってなんとかなるものではないが「爪は生えもの」とも言うので、日頃のケアーも何かの役に立つと思う、とわたしは希望を持ちたい。また爪が良いとギターを弾くのは楽しい。
そこでチーズの出番だ。
     拙著エッセイ集「ギターは小さな星のオーケストラ」うさぎの項(P102第2章、第1項の補足。)この項のウェルシュ・レアビットは美味しいチーズ料理。
     ドイツの黒パンPumpernickelまたはSonnenblumen-Brot(前者はいわゆるドイツのライ麦パンで後者はライ麦にひまわりの種Sonnenblumenが混ぜてある)にイギリス(スコットランド)製のチーズ(レッド・チェダー・チーズ)を載せる。私の好みは後者BIO Sonnenblumen-Brot。このパンの大きさは約11.5cm×9.5cmでそれを半分の大きさに切りトースターで焼く。それにバターを薄く塗り前述のチーズを約3~4mmの厚さに切って載せ、もう一度オーブントースターでチーズが融けるまで焼く。その時、オーブントースターにチーズが流れ落ちる可能性があるので、パンの下にはアルミホイールを敷いておく。
これらの素材は以下のお店で買えるので最初はここから取り寄せて、後は似たような物を何処かご近所のお店で各自入手研究をされると良い。
     コウベグロサーズ URL http://www.kobegrocers.com
     このお店での私の推薦品はパンパーニッケルDelba Whole Grain Pumpernickel(BIO Pumpernickel)または、サンフラワーシードブレッドDelba Sunflower Seed Bread(BIO Sonnenblumen-Brot)として、お店のホームページに載せている。そして今は丁度ドイツ特集としてドイツの食品を網羅して並べている。
     レッドチェダ-チーズのことはカットチーズの所に出ています。
     弟子の一人に何かのついでに買って来たセットを詳しい食べ方と共に進呈した。彼から『パンの酸味とナッツの香ばしさとチーズのコク。最高ですね。よくこんな組み合わせを見つけられたものだ、と感心することしきりです。特にワインによく合いました。今度神戸に行く時は、是非買ってこようと思っています。』こんなメールが送られて来た。

 

第 11 回
練習(2006/8/6掲載)


     「練習をした」とは練習する前よりも上手くなっていなくてはならない。上手くなっていないとすればそれは練習をしたとは言えない。この事は、私が若い頃ジョン・ウィリアムスにロンドンで習っていた頃言われて痛感した事だし、私は弟子達にもよくそれを言っていた。君はpractice(練習)ではなくてplay(演奏)している、と。playは遊んでいるともいえるし、その時若いジョン・ウィリアムスに全く正しい事を言われたと思った。
     今では以下のように考えられる。
     ある曲を練習していて、ある時その曲のある部分を、こう弾きたいと言う思いが強くなり、それに対して効果的だと思える練習法を考えて奏者(演奏家、練習生)は練習を始める。その練習計画が正しければそれによって手に入れたテクニックを使ってその曲がこう弾きたいと考えたように(徐々に)弾けるようになり、たしかにその練習をした事によって上手くなったと言えるし、そのある曲を満足して弾いている状態になって来る。そこで、そのテクニックを手に入れたことで、始めて本当にギターを弾いていると言う実感を持つことが出来、しかもギターを弾くのが楽しくなって来る。なお、ギターを弾くテクニックとは、音(音色)も含めて、の事であるのは当然なので、複雑なパッセージが速く、または正確に弾けるからと言っても、悪い音(魅力的でない音、耳障りな音)で複雑なパッセージを速く、または正確に弾けてもそれは真にテクニックを持っているとは言えない。
     「こう弾きたいと言う思い」が強くなければならないし、また「こう弾きたいと言う思い」がはっきりイメージ出来ていなければならない。そうでない演奏をこれがギター音楽ですと、人に聞かせるのはギター音楽の衰退に繋がる。蛇足ながら、セゴビア先生は速く弾く事をあまり評価しておられなかった。曲の持っているGrazioso(優美さ)の感じを失わないように、とレッスンを受けている曲をその曲の正しい速度よりも少し早めに弾いた私に注意を喚起された事があった。先生はある古い弟子の事を、「彼は会う度に速くなっている」と深く嘆くように言っておられたのは私には印象的であった。ギター音楽が上品に、しかも優美に弾かれる事を最優先にすることである。
     ではこう弾きたいとは、どう言うことか。どうすれば判るのか。それは、音楽を表現する事について純粋に憧れる事だ。永年の訓練によって練習生は音楽の出来上がった姿(形)、または音、またはフレーズとして、その人の才能に応じてイメージ出来るようになってくる。それは楽曲全体としてまたは音楽を構成する部分とかその素材としての音として、あたかも目に見えるように(耳に聞こえるように)、イメージ出来るようになる。そうなると、それを具体化、詰り、耳に聞こえるギターの音として実現するのはまた、特別な難しさがあり訓練がいるし、それはまたとっておきの充実した楽しい事柄に属する。設計図を見て、それを実物の建築物に仕上げる仕事に似ているといえるかも知れない。出来上がった建築物(ギターで演奏された音楽)を設計図(楽譜)に合わせて頭の中にもっていて、それを現実の音楽としてギターの演奏によって表現する仕事だとも言える。
     運指が発想であり、音楽解釈である、とセゴビア先生は何時も示唆しておられたが、その事について私は大して気にしないでいたし、正直その事を重視しないでいたが、今では私は自分が弾く音楽はすべてそのように解釈をして弾くべく努力しているのに気ずいた。あるパッセージに付いて言えば、出来上がった音楽が見え、それに最も適した運指や弾くポジションを決める事がもっとも演奏家に取っては大切な事であると気がつき、自覚出来る事。他人事の様であるが何時の間にか私はそうしている。「練習をした」とは練習する前よりも上手くなっているという事である。上手くなっていないとすればそれは練習をしたとは言えない、と始めに書いたがそれを続けた結果、練習前はこう弾いていたが練習の後ではこのように前とは違うと、ハッキリと言える。
     私が弾く或曲の或パッセージを、少しでも私の運指と違う指で私の弟子が弾くと、その部分は全然違った発想になってしまっているので、運指は発想であることを私は実感する。
     或日のセゴビア先生の滞日中、タクシーで移動中、タンスマンの音楽の話になり、私にとってタンスマンは解釈の難しい作曲家の一人であると申し上げたところ、「彼(タンスマン)は私(セゴビア先生)がrevise(運指、改編)を加える前に出版してしまう」また「タンスマンは沢山(手で1m以上の高さを示しながら)ギターのために曲を書いていているが、私(セゴビア先生)の書き込みを待たずに出版してしまう」とも言っておられた。つまりセゴビア先生は「自分(セゴビア先生)が運指を付けた楽譜で練習(または演奏)すればタンスマンの解釈は難しくない」つまり運指さえ教わったら、その曲は簡単に弾けてしまうのだ、ということらしかった。(タンスマンの曲はセゴビア先生によってreviseされていない曲も沢山出版されている。)話は逸れるが、私がNHKで「ギターをひこう」の講師をしていた時、タンスマンの曲をミニコンサートで弾くと言ったら、生徒の一人が自分のお腹をタンスの引き出しに見立てて引き出しを引き出す身ぶりをしながら「タンスマン、タンスマン」といって喜んでいた。タンスマンを弾く時には何時もそのことを思い出す。余談ながらその時ちょうどセゴビア先生は日本に来ておられて毎週2回あった私のNHKの放送を見て居られたらしい。NHKの私の番組に特別に出演してやろうか、とまで仰って下さったのには驚いたし、恐れ入ってしまった。NHKの担当者の方に伝えたが御遠慮申し上げると丁重にお断りされた。折角のチャンスを全く勿体無い事をしたなと、今思い出しても全く残念な話であった。
     私はギターの練習をしている時、新しい解釈が下る(クダル)と、楽譜に運指をかきこむ。ある曲等は真っ黒になってしまっている箇所がある位で、ポジションの設定、弦の変更、新しい運指の発見、音の追加、削除、オクターブの変更、など、そして強弱、緩急と思いきって、これは素晴らしい発見だ、この変更は絶対だ(この世に絶対はないにしても)と思える書き込みを加える。とは言え、この絶対は、前述した、私の解釈(曲が完成して出来上がって演奏している事をイメージした時の私の脳味噌の中の音楽)に基づいた上での絶対であり、人には説明し難い事である。また頭の中になくても演奏していると、思わぬ発見、指が自動的にした事で、美しい、または表現に必然な強弱、緩急が耳に聞こえて、これは絶対覚えておきたい、重要だ、と思って書きとめておく事も多々ある。それでも、私の楽譜は私に音楽を習っている弟子達には非常に珍重されている事は事実であり、私が黒くなった楽譜を綺麗に清書するのを弟子達は待っていてくれる。私の頭の中で作り上げている音楽の姿を弟子達は、少しは覗き見ているのだろうと私は思う。
     それに反して私の若い頃、練習していてこれこそは私が弾きたかった発想だ、という発想が見付かった時私は練習を止めてしまっていた。見付かった事で興奮してしまうのと、練習の必要がないとの判断が、自分でなされてしまうのとである。それが見付からないと一生見付からないままに終わってしまうのだから嬉しがるのも無理もないとご理解いただけるでしょうか。
     余談ながら、フレージングが発想に係わると言う事、つまりフレーズを無視してフレーズの区切り無しに音楽を演奏することを、関西では根深節(ねぶかぶし)と言う侮蔑を込めた別称、詰り蔑称を与えて来た。根深とは根の深い葱の事で、関西では関東葱のことをネブカと呼ぶ。こころは、節がないと言う事。その上音が汚いと関東葱よりなお悪い。
     私の最初のギターの先生(「ギターは小さな星のオーケストラ」第1章、及びこの「エッセイ集」第5回私の先生参照)はギターの演奏会の中の1曲中、たったひとつのパッセージ、またはたった一つの音でも「好いなあ、綺麗だなあ」と言えればそれでよいと口癖の様に言っておられた。これは今にして思えば、トーマス・アクイナスの「心地よい事は美である」から出た言葉であろうと思われる。その演奏の中に一個処でも美しいところがあればその演奏は成功である、とその先生はよく言っておられた。なお、いくら美しい音でもそこに知性が感じられないとそれを美であると認識しない人も多い。逆に、通俗的な音楽の演奏では美とか芸術とか、がたがた言わないこと。
     「クラシック音楽の名人と言われる人に悪い音の人はいない、」と私は昔から弟子達に言ってきた。アマチュアは一個でも美しい音が出れば、それで良いし、それを宝物として生涯ギターを楽しめるのではないか。美しい音が一個もなく全部の音が綺麗でないとしたらプロの演奏家としては失格である。でも一つでも綺麗な音が出せれば全部出せると言う事も道理であり、やはり本当は美しい音は一個だけでも出せれば良いのかも。
     何かの趣味を持とうとした時、上手にならないと本当の意味では楽しめない。私のギターの弟子の一人がある日、「下手である事を楽しみますから、先生の教室を止めます」と言って来た。私はそれには驚いてしまって、空いた口が塞がらなかった。その人はかなり高い教養(学歴)のある人で、そのため私の驚きはなおさら大きかった。前回のエッセイに書いたがクラシックギターや音楽に興味をもっておられる若い人も年輩の方も、ギターを知的な事柄の仲間に入れて自己開発(啓発)を目指して欲しいと心から念じている。
     練習をする時、何が自分に不足しているかを考え、始めからやり直す事を恐れてはならない。モStart againモと私はヨーロッパでギターを(本当の伝統あるギター演奏法を)学びはじめた頃は言っていた。すべてを捨てて始めからやり直す勇気を持ってほしい。そして回り道をした事を後悔する必要はない。回り道をしながら多くの事を学んでいるのだから。
     もう一度言うが、何かの趣味を持とうとした時、上手にならない(なれない)と本当の意味でその趣味は楽しめない。例えば園芸の趣味であれば植物はみんな枯れてしまうし、動物であればみんな病気になり死んでしまう。これは何と悲惨な趣味でしょう。この事を音楽の趣味に置き換えると????

 

第 12 回
アルテュール・ルービンシュタイン
(2006/8/6掲載)


      セゴビア先生は歩きながらなにか面白い事、思い出された事があると、ふと立ち止まって話しはじめられる。銀座のヤマハへ行ってみようと例の茶目っ気を起こされて店の方を驚かそうとお店を訪ねた。残念な事にヤマハはその日はお休みだったが、ぶらぶらと銀座4丁目の方へあるきながらこんな事を話しはじめられた。「ピアニストのアルテュール・ルービンシュタインは『評論家はわたしの弾いた音ではなく弾かなかった音に就いて批評をする』といった」と。註!弾かなかった音とはつまり、ミスタッチをして出なかった音の事らしい。
     ルービンシュタインは誉めて欲しい所、賛辞を捧げて欲しい部分が無数にあったのでしょうね。なんとも言えない絶妙なタッチによるフレーズの表現、美しい音、快心の弾き廻し、などなど。それにも拘わらず、ミスタッチの事ばかり批評でとりあげられるので頭に来ていたのでしょうね。100の美しい音ではなく1の出さなかった音を批評してどうするのだとわたしも言いたい。

 

第 13 回
サッカーブーム
(06/9/15掲載)


      サッカーブームです。
     オッシムさん。今、この方の名前を知らない人は無い。
     オットー・クレンペラー。この名を知る人は少ない。
     わたしはマツダ・アキノブ。クリストファー・ニューパン氏は私の事をマエストゥルーダと呼びます。Maestro(マエストロ)とMatsuda(マツダ)をくっ付け、Maestroのoの代わりにMatsudaのudaを入れてMaestrudaとなっている。
     これら3ツの名前に何の関係があるかと言えば、みんな年寄りである事だ。但しマツダ・アキノブと前2者との大きな違いは、オッシムさんはサッカーの指導監督はするが、自分でサッカーをプレイしない。オットー・クレンペラーは偉大なドイツのオ-ケストラ指揮者であるが矢張り自分で楽器を演奏されない。松田晃演は彼の年令にも拘わらず自分で演奏している。この事は実に大きな違いなのです。
     話を分りやすくするためにオッシムさんの名前をお借りした。オッシムさんは年を取って、サッカーについて完全に理解出来ておられる(らしい)が、自分でプレイされる事はない。
     オットー・クレンペラー。これは音楽家として、私は最も尊敬すべきオ-ケストラ指揮者の一人であると信じている。ある日ロンドンのフェスティバルホールのチケット売り場で並んでいると高額であったがキャンセルが一枚出たので思いきってチケットを買った。彼は、若手の指揮者の演奏の後でよろよろと歩いてベートーベンのレオノーレの中間部を1曲だけ指揮するために指揮台に立たれた。指揮棒をふっと持ち上げてフッと降ろされると、今までの若手が指揮した時とこれが同じオ-ケストラかと目も見まがう程に、言わば、背中の毛がそそり立つような、音がそのオ-ケストラから沸き上がって来た。これはわたしの生涯の音楽経験の中で、特筆すべき出来事であった。
     しかしながら、彼もオッシムさんと同じく、自分ではプレイされない。わたくし、マツダ・アキノブは自分でプレイする。これは大きな違いだ。オッシムさんやオットー・クレンペラーのように脳味噌が幾ら発達しても、自分で演奏する独奏者にはその世界で自由に自分の才能を発揮出来るためには大変な努力、訓練、節制が要求され、肉体的な限界もある。ギター演奏をサッカーであると仮定すれば、フィールドを走り回ってくれる生きの好い若手の選手を指の代わりに引っ張ってくれば好い。指揮者に例えれば、ヴァイオリンやチェロやフリュートが自在に操れるメンバーの集まっているオ-ケストラの前に立てば好い。ギタリストのわたしは指を取り代える訳に行かない。そのかわり各指は60年程の間、指揮者と楽団員、監督と選手が一心同体になって働いて来て頭脳の考えを完全に理解して呉れている。各指達は60年来の仲間である。そこに、年輩の独奏者が成熟して来ない由縁もあり、成熟し完成した音楽演奏家が尊敬され珍重される由縁でもある。希有の奏者、奇跡の奏者といわれ、稀少価値といわれ、滅多に現れない。
     わたしは「Start again」- 初めからやりなおそう - と叫んでギターのテクニックの再構築に挑んだ事が何度もあると書いた事があるがオッシムさんは少し古い選手は「Start again」をしないし、させられないので若い選手を新しい日本サッカーのメンバーに加えたといっておられた。つまり私のようなギタリストからは夢のような羨ましい限りの話で、それはつまり私に当てはめれば、自分のこの指は古くて「Start again」をさせられないから新しい指に差し換えて「Start again」をするのだと言っているようなものだ。
     以下は頭の遊び。
     オッシムさんが彼と同じ年令のメンバーでチームを組んでサッカーをされたらどうなるでしょう。勝つか負けるか考えて頂きたい。相手は・・・?若手のチームでしかも、監督も若手であればどうか?勿論ハンディキャップなしで。私、ギターのマツダさんはそんな試合をやっている。応援をよろしくお願いします。指も73才です。そしてハンディキャップなしで20才台の人に勝っていると言う評価も得ている。ハッハッハ・・・・・。高笑いをしても好いでしょうか。
     もう一つ頭の遊び。
     私のギターと私の指でギターを弾いて見て頂きます。但し頭(脳味噌)はあなたの物で・・・。オットー・クレンペラーが指揮をしたオ-ケストラ(楽器も指も同じ)を若手の指揮者が指揮をした時の状況を想像して頂く。オットー・クレンペラーが指揮をしたオ-ケストラとは私の楽器と私の指です。私の指は別の脳味噌の指令を受けて私が何時も弾いているのとは違うように動くでしょうね。
     「Start again」を発するためには、すごい発見がなければならない。そうで無ければ「Start again」と叫んでテクニックを改造するエネルギーは生まれてこない。
     音楽の独奏家が年令の壁を破って活躍する事の難しさがここにある。生涯を音楽に捧げ、健康に気を付けしかも、芸術、音楽の完成に向かって情熱を失わない。音楽家は何時までも新しい発見、そして進化が無ければ情熱を失ってしまい、挙げ句は若手に負けてしまう。
     音楽独奏家として年令を重ねて来ると、特に日本人には成熟して然も完成した老齢音楽家の例が少ないため、能力を低くしか評価をされない嫌いがある。それはわたしにとって大きなハンディキャップである。
     指が良く動く若手が居る。彼等は楽譜があればそのまま演奏する。音を楽譜に書かれている順番通りに出せば良いと考えているらしい。
     ロダンは芸術に於いて若いと言う事は醜であると言っている。芸術家が老いて下手のままでいるのは、怠慢であり怠惰の証である。
     もう一つ。オットー・クレンペラーの指揮を聞いて私を驚かせたのは、同じ楽器でも全く違う音がするものだと言う実例を目の当たりに見た事だ。同じオ-ケストラであれだけ異なる音を出す事が出来ると言う事は独奏楽器でも同じだろうと言える。まあ、簡単に言えば心に音楽を持っていればその心の歌を楽器で奏でられると言う事。
     オッシムさんがオッシムさんのクローンを11人集めてサッカーをしている。面白いですね。

     私のCDを音楽CDとしてお聞き下さい。他の音楽CDと虚心に聞きくらべて下さい。

 

日記-第1部

06/7/31
ギタリスト達のレベル
最近になって、ギター界の様相をなんとなく眺めるチャンスが増え、目下絶望です。何故なら、余りにもレベルが低い。(中には非常にレベルの高いかたがいらっしゃるに違い無いと信じるが)
セゴビア先生は何時かわたしにこうもらしておられた。それは、「私(先生)は何万と言う音楽家として登録されているギタリスト達(アメリカなどではMusicians Unionに登録されている)のレベルが余りにもひどいのでギターの名誉のためにこうして演奏しているのだ」と。(先生、80何才台の頃のこと)

06/8/09
私のファン
今日、医龍さんの治療を受けていまして、閃いた事がありました。
私はギタリストとして、ギター関係、ギタリスト達を対象にして音楽を演奏したり語りかけたりして行く必要は全然無いということです。そこでわたしはギタリストである事を意識から追放する事にしました。わたしは自分がすでに立派な音楽家であるという事に気付きました。私の真のファンは実はギターに今まで興味を持った事も無く音楽を人生において重要な物と考えた事も無かった医龍さんの様な方で、その様な方がわたしの演奏を聞いて本気で、大ファンになって下さっている事を知りました。そのような方々が私のファンの中に徐々に多くを占めるようになっていて、それこそは、私が最も大切にするべき真の私のファンである事に気付きました。
それらの面白い考えをもう少し落ち着いて分析し、敷衍して、ホームページのエッセイ集として載せて行きたいと考えています。

06/9/04
ギターには詩情
ギターには詩情がある、しかしオ-ケストラには詩情がない、とある人が呟いた。どう思われますか?
一つの、考えるテーマですね。

情報化社会を言われている。
クロマニオン人とネアンデルタ-ル人の違い。情報化しなかったネアンデルタ-ル人のDNAは現在の人類の何処にもなく、と言う事は、子孫が作れなかったので滅びた。今の人類はクロマニオン人の子孫のみである(らしい)-NHK。
生き残れるのは?  情報を征しないものは滅びる。
マエストロセゴビアは晩年、わたしを初め多くのギタリスト候補生プラスギターの先生候補生に先生の知識を伝えて来られた。何故なら、マエストロがもっとも愛しておられたクラシックギターが、ネアンデルタ-ル人であれば、つまり情報手段をもたないままであれば滅びる可能性を見られたから。
音楽演奏も(教育者も含めて)情報を大切に!
今はCDがある。最高の奏者から情報を得ましょう。CDを検索し自分の耳で聴いて確かめてみる事。

06/10/13
たまに古い楽譜を引っぱり出して昔よく弾いた曲を思い出し、弾いてみる事がある。ふと見るとペ-ジの最後に、何時、何処で、誰から借りて写符したのか、書いてある事がある。冩符とは古い言葉でありいまでは存在しない言葉かも知れないが、昔は借りて手書きをしたものだ。コピー器等手近に存在しなかった時代だ。 この間ビゼーのパッサカリアを思い出して楽譜を出して来て弾いていた。ふとその楽譜の最後を見ると、1960,イタリアと書いてあった。
今どきでもコピーをしたら、借りた人、コピーをした場所、日時など書いておくとよいかも知れないですね。
わたしは46年前の自分と、借りた人、(誰だったかなー)など記念になり記録になる。

06/10/15
なみだ
このところ、いろんなスポーツの決勝場面で勝者がなみだを流している状景を目にする。ところでわたしは何時なみだを流しただろう。47年前大阪でセゴビア先生に認められてヨーロッパに来るように言われた時だ。なみだ-それは、私の考えでは、想像を絶した努力を自分に課してそれが達成された時に流れる。私は、その頃日夜、1日を2日に、つまり、早起きをして猛練習をして疲れたら寝て、起きてもう1日分練習する事を自分に課していた。
涙はだから自己憐憫では無い。自己憐憫はちょっとだけ一心に練習して疲れたから、禁じている、例えば、お酒、ぜんざい、お汁粉、等を食べて自分を甘やかす事だ。

06/10/22
歌行灯
日本の誇る泉鏡花作「歌行灯」を最近読み返してみた。何と示唆の多い作品でしょう。芸術、芸能に少しでも興味を持つ方は是非ともお読みになるとよい。難解な所もあるが、(何故なら文章が古風)解読について努力の甲斐は必ずある事、保証する。

06/11/5
立体 
ギターを芸術的に演奏するには音楽を立体的に捕らえなければならない、とは私がよく生徒に言っていた言葉です。
ここに立体と平面、立体と直線の違いを如実に感じさせてくれる1例を揚げておきます。1キロメートルを歩くのに15分とかからない。ですが世界の人口が多すぎると思われていますが、1キロ立方メートルの箱があればその多すぎる人類全部がすっぽりと入ってしまいます。立体はすごいですね。その箱に全世界の人類を入れると、その箱以外には地球上に人間は1人も居なくなると言う事です。

06/11/5
限界効用逓減の法則
先日神戸大学の第一回Home coming Day に招かれて約40分ばかりクラシックギターの演奏を披露した。卒業から丁度50年、六甲山の中腹にある大学には何度か道を尋ねてようやく辿り着いた。
経済学を少々学んだが、中でも限界効用逓減の法則は私の印象に残っている。
限界効用逓減の法則とはある物資を持っていて残りが沢山あるとそれに追加された1ユニットの価値が減少すると言う法則で、その逆が限界効用逓増の法則である。
ある日私はセゴビア先生に先生のギターの弦の交換をするよう頼まれた。手回しでネジを廻していると弦回し器具を使えと、出して下さった。
新しい弦をこれでも無いあれでも無いと二人で選んでいると、先生はある時ある国で演奏会後に、ある人がセゴビア先生に、先生が昔気に入って使って居られた素晴らしい弦をわたしは持っていると言ってポケットから何本か出して見せてくれた。(先生はその弦はもう既に使い果たして1本も残っていなかった)おお、凄い、と先生はその人は絶対に先生に上げようと思って持って来たものと思って期待していた所、それらの弦はその人のポケットに治まってしまった、と。
これこそ限界効用逓増の法則、残りが全然無くなった時の1ユニットの価値の大きさを実感させるものです。その逓増さ加減は実にセゴビア先生にかかると無限大ではなかったでしょうか。その悪魔のような人に呪いあれ!
私は大切にしている弦が残り少なくなると使い切ってしまう事は出来ない。

06/11/9
立体的な音楽とはある広がりを持った音が次々とつながっている形です。それは音の重なりでありポリフォニックな音楽演奏です。
立体的にの追記
昔、セゴビア先生はわたしにポリフォニックな演奏をするとの推薦文を書いて下さった事が有ります。

ブログからの転載

音楽、楽曲、は部分から成り立っていると考えられたら、その各部分を磨き上げる事が、楽しみになりますので、初級者には小品であっても1曲、1曲、全体を一度に仕上げるのは途方も無い大仕事だろうと思います。

日記-第2部

06/11/11
音楽演奏での1は0。
1=0、2=1、この事は何時か何処かで話したが例えば1拍目を1と数えた瞬間には時間はまだ全然経っていないので0です。次に2と言った瞬間に1が終わった事になります。ですから、2と言う迄1の音をよく聞いておき、最後までフォロウしておく事。ですから2=1の式が成り立つ。

06/11/13
楽曲は例えば一つの建物であり、または美しい庭園です。1拍2拍と区切るのは、音楽が出来上がってから後でした事です。もともと区切るのは無理な事です。立体的な建物をどうやって、1,2,3・・・・と区切るのか。元来、音楽記符法は非常に難しい問題だった筈です。立体を一本の線で現しているのだから演奏者にとって、音楽解釈は、面白いし、むずかしい。以上!
もう一言。ギター音楽は音楽解釈の仕甲斐の有る音楽ジャンルです。優れた解釈に依る(演奏である)と音楽が立ち上がって来る。

06/11/14
再度1=0、2=1、の問題
NHKのサイボーグに付いてのプログラム(2006/11/3/22:00)を見ていて、いろいろと考えさせられた。
私は1、2、3、4などの拍子を数える事が出来ない知恵おくれの子を教えた事がある。ある拍を私が弾くとそれは1拍と言う長さ(ユニット)として一般には捕らえているが(だから無機的)、彼は私が出した音全体のイメージ(音色、強さヴィブラート等)として捕らえていたらしい。だからただの1拍を理解し覚えるのに何日もかかった。彼の頭はそうとしか働かなかったのかも知れない。
一般には1は1で2は2だと思っているが、1は座標として考えると、点にしか過ぎない。そして音楽では前回言ったように1は0である。
私の複雑な音楽演奏を心理的な動き迄取込まなければ成らなかったしそれをそのように弾かなければ成らないと彼は思ったかも知れない。だから彼の音楽には個性はないが私のある時の情感を丸ごとを引き写していた。
以上

06/12/10
イタリアのシエナで、あるアメリカの女子生徒がセゴビア先生に質問した。「先生、ヴィブラートをかける時上下にするのか左右にするのか教えて下さい。」セゴビア先生「5P(5フレット)より下では上下に、上では左右にすればよい」生徒「では5Pではどうするのでしょう?」学生達、大笑い。わたしは、それよりセーハをした時にはヴィブラートをどうかけるのか尋ねておいて欲しかった、と今頃気にしている。
ヴァイオリンの反対に、ギターでは左指を上に動かした時(揺らせた時)には音(音程)は下がるし、下に動かせば音はあがる。知っておくべし。
もっと肝心な事は美しい音を出す事。その美しい音に更にヴィブラートを掛けるべし。ただしヴィブラートをかけない方が音楽的に美しい場合もある。
もう一言。ヴィブラートを一定速度で掛けるのは、識者にとっては、知性に欠ける演奏に見えることを知っておくべきだ。それはいっとき、電気ヴィブラートと言って軽蔑されていたものです。知能発達の遅れた古い弟子が実に速い定速のヴィブラートをかけていたので、わたしはよく注意をしてあげて居たものだが、考えてみるとヴィブラートこそ、生まれながらの個性であって、始めに持っているヴィブラートの癖は一生治らないのかも知れない。知性と教養の欠けるヴィブラートを聞いてその人の音楽を楽しむ等とは、音楽の無理解も甚だしい。意識しないでも美しい音楽にそぐったヴィブラートが出来る事は一つの才能ではある。人品卑しからぬヴィブラートを理想とすること。

2007/1/5
ヴォルボ
明けましてお目出度ございます。
実に沢山お方々がここにのぞきに来て下さった事を感謝しています。
暫くこのブログにはごぶさたしていました。12月は何だか忙しく、私も師の1人なのか、師走には走り回っていたような気がします。
最近弟子の一人がヴォルボに乗ってレッスンを受けにきた。これなら買いたいなと思った位美しい形をしていた。そこで思い出すのは、スペインのアルハンブラ宮殿のすぐ前の側(そば)のホテル「アルハンブラ・パレス」の前で、ばったりとセゴビア先生に出会った時の事だ。先生はヴォルボから降りて来られた。多分グラナダの南の地中海沿岸の別荘から奥様のエミリアさんが運転をして、映画撮影の為に来られたのでしょう。
久方ぶりにお会いする先生を偶然路上(と言ってもホテルの駐車場がホテル前の広場)で見つけた私は感動しながら走り寄った。はるばる日本から映画撮影のお手伝いに来た私を、「ビッグパロ」と先生は言いながら、両手をパタパタさせて私を呼び寄せ、ハッグによる歓迎と慰労の挨拶をして下さった。「ビッグパロ」とは一体どう言う意味なのだろう。いまだにはっきりした意味と答は解っていない。
さて、ヴォルボの話をする筈でした。その頃のヴォルボは真四角で、わたしのセンスにあまり強くアッピールしなかった。セゴビア先生のすること為す事すべての真似をしたかった私も、さすがにヴォルボだけは買わなかった話。
車の話に関連してマン島の話を思い出したので、次回に書きます。

マン島
ロンドンの、何時ものように人気(ひとけ)の少ないがらんとした町を、向こうから3人の日本人が小躍りしながら歩いて来る。私はどうしたのですかと尋ねた。マン島で優勝したのだ、と。最近知った事だが、これは日本のホンダが世界に伸びるきっかけになる画期的な出来事だったらしいので、わたしはその勝利の歓喜の場に、居合わせた事になる。それは1961年か1962年の事でした。

07/1/30
真っ赤なネクタイ
セゴビア先生のお話
若い時先生がスペインからイタリアのヴァニスへ車で行く時、ファリャ(註ーあの偉大なスペインを代表する作曲家)を同乗させてあげたところ、国境の町でファリャさんはお礼にといって真っ赤なネクタイを下さったそうだ。先生は普通のネクタイは一度もされたことがなくそのネクタイも一度もしたことがないと言って居られた。
ちなみに先生は何時もリボンタイをしておられる。

07/1/30
ジュリアン・ブリーム
東京にいた頃ジュリアン・ブリームを私のカローラに乗せてあげたことがある。
東京都心を運転する私の車のまえをヒューと出前に行くそば屋の自転車が横切って行くしその忙しい東京の町のドライブのスリルを満喫していた。
まず車名を聞くので「カローラ」と言うと、「何と言うイマジネーション」、と日本人の車名の付け方を驚いていた。私が何故だと聞くと、「外国では力強いものを車名にする、例えばジャガー、とかムスタングとか」と。それにしても「力強く地面をホールドする」、とカローラの安定性能に彼は感心していたことも付け加えておく。
ちなみに、Corollaとは花冠のこと。「日本人は優しい」と。

07/2/3
ロンドンの町をジョン・ウィリアムスと二人で歩いていると、ジュリアン・ブリームとそっくりの男が向こうからあるいてきた。ジョンと親しげに話している。後でジョンに聞くとかれはジュリアン・ブリームの弟で、トランペットをやっているとか。
それだけの話

07/2/6 
再度ジュリアン・ブリームの事
ジュリアンは私と同い年である。私の方が約10日ばかり年上だ。
彼が日本に来た時十和田湖に一緒に行った。大きな船を借り切って周遊をしたり、テデスコの二重奏、(前奏曲とフーガ)を二人で全曲を試奏して見たり(註ム余りにも二人に音楽性が違ったのか上手く行かなかった)、ピンポン(お互いにこそくなピンポン)をしたりと楽しかった。
その時彼が頭髪のことを気にしていたので、昆布を一晩水につけてこれを飲むと毛が黒くなるのだと作ってあげたが彼は気持ちが悪いと、どうしても飲めなかった。

07/2/9 
再々度ジュリアン・ブリームの事
ジュリアン・ブリームはカーキチでジュラルミンのスポーツカーを乗り回していた。ある時ジョン・ウィリアムスが明日は急にある所で演奏するのだと言う。訳を聞くとジュリアンが車で怪我をして代役で演奏するのだとか。
それだけの話

日記-第3部

賞味期限
演奏にもレッスンにもそして楽譜にも賞味期限がある。演奏家にとっての賞味期限とは「演奏解釈の新しさ」であろうか。わたしは演奏会を直前にして言えば、調理したての新鮮な料理を「召し上がれ、」と、胸をはってコンサートのテーブルにプログラムを差し出したい。
ある見事な腕前のシェフがいるレストランで、料理を運んで来るウエイトレスが胸をはってテーブルにプレートを載せるのを時たま目にする事がある。ウエイトレスがそう言った態度を取る時は概ねその料理は完璧だ。
演奏解釈とは音楽演奏にとって、正確には音楽演奏家にとって、全く、興味深い問題であります。私見を述べれば、演奏家に取っては演奏解釈の要求されない音楽作品には何の魅力も興味も感じない。演奏解釈を要求される音楽作品を演奏解釈しないで演奏するとはもってのほかである。
楽譜もそうで、何年何月にある方に習った楽譜であると明記されていれば、安心してその楽譜を使える。賞味期限が切れている楽譜を信じて勉強している方が多くおられるのを見ると気の毒なような気がしてならない。
賞味期限の切れている食品を騙して売った会社の商品は一生買えないという消費者も中には居る。

第14回
指板の向こうに

わたしは女房とレンタカーを借りて二ヶ月間、スペインとポルトガル(主にスペイン)を走り回った事があります。当てもなくの旅でしたが、(一つだけは「プラテロと私」の南スペインのモゲール訪問)セゴビア先生がまだお元気の頃で、しかも地球上の何処にいらっしゃるやら解らない状態で、その上女房はセゴビア先生にはお会いした事が無い。マドリッドに返って来て先生のマンションの窓に灯がついているのを見て、わたしは3日間猛練習をして(「With guitar」と言われるのが分かっていましたから)先生に電話をしてお会いしました。もちろん私が日本で何年か勉強して来た成果を見て頂くためにお会いしたかったのです。
わたしはこちこちに固くなって先生を前にしてポンセのソナタ第3番を弾いた。先生は何カ所か適切なアドヴァイスを下さった。わたしの後ろに座っていた女房は、セゴビア先生に初見参であり、わたしよりももっとかちかちになっていた(らしい)。あとで先生と並んで記念に写真を撮らせて頂いたが、女房は先生と並んできちっと映っていたが、わたしの写真は少々カメブレであった。
その時先生は数日後スペインの東海岸のアリカンテで演奏される事を教えて下さった。当然の事ながら、お願いしてチケットを手に入れ車を飛ばした(約600キロ)。ちなみに、アリカンテはイギリス艦隊ネルソンに壊滅された無敵スペイン艦隊の基地の港町であった。
アリカンテのオペラハウスでのマエストロの演奏は女房が生まれて初めて見た、そして聴いた偉大なるマエストロの演奏であった。彼女は真実、心底、感心してしまった。その感激が私共のセゴビア・ヨーロッパ旅行の企画へのエネルギーとなって、実に3回も日本から大勢のファンを引率してセゴビア先生の演奏を聴くために、ヨーロッパ旅行を企てた。
それ以後、女房共々セゴビア先生には親しくお付き合いをして頂けるようになり、アルハンブラ宮殿でのセゴビア先生の素晴らしい音楽映画の撮影助手もさせて頂きました。
さて、ギターを弾いていると、指板の向こうに見えるのは床板または、絨毯である。先ほどお話ししたセゴビア先生のマドリッドのご自宅のマンションに敷いてあったのは、私たちがマドリッドに帰って来る直前にグラナダで買って来た絨毯と同じ色、模様、素材、つまり同じ絨毯であった。と鋭く観察していたのが誰あろう、セゴビア先生に初見参の、わたしよりももっとかちかちになっていたはずの、わたしの後ろに座っていた女房で、わたし達は偶然にもグラナダでセゴビア先生と同じ絨毯を買って来ていたのでした。わたしは今頃になってその幸運を心から喜んでいる。
何故なら、わたしは今でもその絨毯を練習室の床に敷いている。時たまギターを弾きながら思うのだが、セゴビア先生と同じ景色を指板の向こうに見ながら、わたしは練習をしているのだと。それは何十年も使っているが、そんなに高価な品物ではないが、スペインのナランハ(オレンジ)色で、殆ど痛んでいない。生徒達には一度もこの話はしたことはないが、私のレッスン室のその絨毯の上で彼らは無心に演奏を聴かせてくれている。
指板の向こうに見えるもの、景色、色合い等は集中して演奏する上で非常に影響があるかもしれないので、一応ベターな方向に考えられたら良いのではと思います。
これが魔法の絨毯であれば良いのだが、と時に思う。

第15回
私の先生-ベラさん、ことVillaveldeさん

     1959年、巨匠アンドレス・セゴビア来日の後、私は幸運にもセゴビア先生が先生の夏期講習会に招待して下さったので、その翌年、イタリアとスペインに留学をする事になった。セゴビア先生在日中、先生が教えておられる夏期講習会の詳細をお尋ねしなくてはならなくなった。朝日フェスティヴァルの事務、通訳をなさっていたベラベルデ女史がセゴビア先生のお話を伺うにあたって必要な事を詳細に渉って尋ねて下さった。それは忘れもしない、大阪のグランドホテルの薄ぐらいエレベーター前のホールで、先生のお忙しい合間を縫っての、誠に慌ただしい一瞬であった。イタリアとスペインへの手紙の宛先、地名等、私にとっては恐ろしい程の大量の聞き取りにくい、そしてお伺いしにくい情報をどんどん聞いて書き取って下さった。私の当時の身分としては大巨匠アンドレス・セゴビアを前にして話を聴いたり、質問をする事は何と恐れ多い事だっただろう。
     ベラベルデ女史のご主人が、「ベラさん」ことベラベルデ先生で、後程少しずつ解って来た事と言えば、ベラさんは私の卒業した神戸大学でスペイン語の講師をして居られ、スペインのマドリードの王立音楽院のピアノ科を第二位で卒業されており、(ちなみに一位は当時著名なピアニスト、イトゥルビーであり、日本人の有名なピアニスト原智恵子さんはベラベルデ先生のお弟子でもあった。)上記朝日フェスティヴァル協会の通訳をなさっているベラベルデ女史(ヨーロッパ人の混血?)と結婚なさって日本に永住されてしまった。チェロのカサルスと同様、フランコの独裁政治革命にたいする反対の意思表示をしておられたのだとも聞いている。
     神戸の山手のお宅に、スペイン語を習いに行くことになり、先生は日本語が出来ないので、英語でスペイン語を教えると言われた。私としては英会話の勉強にもなるしと、願ってもないの感じであった。日本語が出来ないと言われながら私が月謝はお幾らですかと尋ねると、すかさず日本語でサンゼンエンと仰ったのには苦笑してしまった。でもそのお陰でスペイン語の月謝が当時で3千円だったことを今でも忘れないでいられる。第二次世界大戦中も日本におられ、ご自宅も米軍の空襲を受け、近所は全部焼けてしまったが先生のお宅は、焼夷弾を手で掴んでほうり出したので焼けなかったのだと、私に自慢げに話しておられた。序でながらその話では日本人は防火訓練には熱心に出席するが、(先生はその反対に一度も防火訓練には出なかった)焼夷弾が落ちて来ると日本人は皆逃げてしまって、彼等の家は全部焼けてしまい、防火訓練に出席しなかった先生は完全に消火したと。先生の洋館のお宅の天井から床に焼夷弾の貫通した穴が何本か真直ぐに通っていたのは、私の姫路の生家も焼夷弾で全焼してしまった事を思いあわせるとその話は実に印象的だった。
     朝日フェスティヴァルでは、ベラベルデ先生は、いろんな音楽会で「ブラボー」と大声をかけておられた。同席した聴衆はその声が上がると何倍も興奮させられてコンサートの盛り上がりと終演後の充足感は大きかったのを覚えている。また演奏者はその声で自分の精神なり音楽的思考なりが聴衆に伝わっていると感じ、演奏に力が加わり鼓舞される事は確かな事でしょう。演奏者はブラボーの声に呼応して気分よく演奏に集中して音楽に没頭して行けるのではないか。演奏者に我々は熱心に、感激をして聞いているのだぞー、と知らせたほうが音楽を聞いている時間を皆で共有している充実感が味わえる。このことは日本のクラシック音楽愛好者の聴衆は心にとめておいてよい点だ。ブラボーは特別に名演の時に限らず、だるい、だらけた演奏を鼓舞する時にも有効である、・・・・と私は理解している。
     実を言うと私のよく知っているある外国人のギタリストが日本に来て演奏している時、彼にしても余りにもだるい演奏をしているので、「ブラボー!」と恥ずかしさを忍んで叫んだ事がある。それが効果を生んだかどうか、実証のしようもないがひょっとすると、会場のオーディエンスは副次効果として、凄い演奏なんだと感激をしながら、その後の演奏をお聞きになったかも知れない。私の顔が割れていて、音楽の良く判る人には松田はこんなひどい演奏に感激しているのだと、誤解されたかも知れない。それともその奏者は「ブラボー!」の声に少しはハッスルしてベターな演奏になって行ったかも知れないが。
     或ギタリストのコンサートで私が「ああやって弾くのは良くないなあ」と(反面教師)身を乗り出して聞いて(見て)いたところ、後日、或人は、松田さんが身を乗り出して聞いていたので、そのコンサートの奏者の事を、凄い演奏家なんだと話していると人伝に言われた事も有る。私はだから、(でもないが、)あまり他人のギターのコンサートには出席しない。生前のセゴビア先生以外のギター演奏会には殆ど聞きに行った事がない。
     ベラさんは今では神戸の六甲山の外人墓地に静かに眠っておられる。

     

 

私あてに頂いた今年の年賀状で、このささやかなホームページをご覧下さっている方々からご期待とお励ましのお言葉を沢山頂き感謝致して居ります。わたしはあるブログに誘われまして、つい気が楽なのでそちらに気侭な文章を発表していました。 そのブログはEXCLUSIVE(排他的)な組織であり、私は大したことは言ってませんがそれらの文章をこのINCLUSIVEな(包括的-何方でも入れる)ホームページに転載し一般公開したいと思います。
      その後PCをグレードアップしていたため、それとものぐささの為、HPの更新に時間がかかってしまいました。上記のブログにその後掲載したわたしの気軽な文章を再び日記-第2部としてここに転載させて頂き、この場のお茶を濁させて下さい。

第16回
真に優れた音楽の2

   真に優れた音楽であるかどうか評価出来るのは、真に優れた音楽家にしか出来ない。
   それとも、真の人間、つまり詩人にしか出来ない。
   と以前に書いたが、わたしが大学に入学した時、マイナス点を付ける先生がおられた。経済学部と経営学部であったので、説明を聴くと全くその通りであると納得した。例えば、請求書の計算を間違えてすると、自分の会社に大損害を与える。0を一つ多くまたは少なくすると大事件である。
   極端な話、マイナスの演奏をする人が二人で弾けばその音楽はマイナス分が二重になる事なのか。
   わたしが言っているのは、音楽にもマイナスの音楽があり、優れた音楽にする為に最大の努力をして頂きたいと言う事です。
   例えば、レストラン等での不快な音楽のBGMもそうで、マイナスの音楽が味を損なわさせる。

第17回
シエナ2 (08/5/18)
美味しいスパゲッティー

    わたしは生まれて初めて、全くの孤独(と言うより心細さ)を最初シエナに行った時味わった。日本語の出来る人は誰も居ないし、食事もどんなものがあるやら、とにかくセゴビア先生の招待があったから地球の裏側まで来たようなもので、ギターさえ勉強出来るのであれば、命さえあればの覚悟でした。(わたしはスペイン語を勉強しておけばイタリアでは通じると言う人の話を真に受けてイタリア語を勉強して来なかった)初年度は「シエナ1」に書いたが、(「シエナ1」はまだアップしていないかも知れない、)二年目のシエナでの事(私は二夏滞在の予定)、レッスンが全て終り、いよいよイタリア生活が最後の日、わたしは何とも言えず悲しくなっていた。それは何故かと言えば、恥ずかしながら、これで美味しいスパゲッティーが生涯食べられなくなるとの思いからでした。
 この年はそのあとスペインでの大事業、セゴビアコンクール出場が待っていました。
ローマの空港で、お別れに、最後になるかも知れないイタリアのスパゲッティーを注文して食べた。空港のスパゲッティーはシエナの学生食堂のスパゲッティー程は美味しくなかった。最後の別れにこんなスパゲッティーを食べさせられたと、残念な思いが一杯でイタリアを後にした事でした。
    それから何年この美味しいスパゲッティーに出会えなかったか。ヨーロッパ1年目の秋、全ての夏期講習を受け終えてロンドンに行き、ジョン・ウィリアムス(註)の元に学ぶ事になった。ロンドンでは住む所が決まるまでジョン・ウィリアムスは彼のフラット(=建物の1つの階全体を1人が使っている)の1室を使わせて下さった。そのフラットは東京で言えば銀座のど真ん中とも言える所にあり、かの有名なウィグモアホールのま裏、オックスフォード街(ロンドンの銀座通り)の2ブロックほど裏手にあった。
(註)ジョン・ウィリアムスといえば、一般には映画音楽の作曲家を思い浮かべる人が多いが、我々ギタリストは当時、世界的ギタリストのホープ、テクニッシャンとしては第一人者、が頭に浮かぶ。
    そこでジョン・ウィリアムスはスペインからの旅で疲れたわたしを、夕食に近所の近代的な作りのレストランに誘って下さった。その店の看板は「KENYA」と書いてあった。わたしはてっきり「ケンヤ」と読むのであって、私の姫路の生家の近くの駄菓子屋の名前「ちんや」とよく似ているな、妙な名前だな、と思った事だった。これは勿論ご存じケニヤと読む。
    さてその店で、ジョン・ウィリアムスはスパゲッティーを注文された。わたしも右に習えでスパゲッティーを注文した。悲劇はそこで起こった。わたしの舌はわたしの口の中でそのスパゲッティーを喉へ送り込もうとしない。目を白黒させても、意思の力で行けと命令してもスパゲッティーは胃袋の方へ入って行かない。喉へ行ったと思って口の中を探ってみると、スパゲッティーは口の中で、強情なスペインのロバの様に一歩も動いていない。理由はあまりにも不味い。
    昨年12月、ある友人が、姫路にも美味しいイタリアンの店がありますよと教えてくれた。早速その店に行ってみて驚いた。あの懐かしいスパゲッティーがお皿に載って出て来て口の中に入って来たではないか。それから4日間連続で、そのお店に通った事でした。今ではそれから7ヶ月経っているが慣れっこになって、でも週に1回は通っている。
そのお店の名は
ジャン!!!。

「ラ・ラティーニ」


興味のある方は URL  http://www.latini.kobe.walkerplus.com/
で調べてそして、食べに行って下さい。お勧めはスパゲッティーやニョッキはラティーニのソースで、コーヒー(エスプレッソ)、デザートのプリン等。

 

第18回
コンサートを終えて (08/5/20)


   演奏会が終わると、欧米では翌朝各新聞にそのコンサートの評が出る。演奏家は翌朝それを買いに街角へ走る。この風景は映画でも時たま見られる。(わたしが大切にしているカーネギーホールの演奏に対するニューヨークタイムスの新聞評、ヨーロッパでは6本の剣がわたしの胸に刺さった、と私のギターの演奏をガルシア・ロルカの著名な詩に例えられた事など、何年経ってもわたしは忘れる事がない。ニューヨークの評は、後で「あなたは、これがあったら一生食べて行ける、と、オーガスティンの社長さんが私宛に送って下さった。)
   スポーツではどんなにつまらない試合、レースであっても日本では、新聞に経過報告、結果報告がでる。
   最近ホームページを再度整理しようとパソコンのなかをひっくり返していたら、昨年末11月の演奏会の後、何人かの知友の方からコンサートの感想文を頂いています。それらの文章が目に留まった。それらはわたしを喜ばせてくれていますが、よく考えてみると私以外のわたしのコンサートに来て下さった方は、その感想文を読んで居られない。その上そのコンサートに来て下さらなかった方、来る事が出来なかった方々に対しても結果報告は必要なのではないか、と考えてホームページにこれらを公表しようと考えるに至りました。自分はあのコンサートでこう感じたが、他の人はどう思っただろうか、と確認をしてみたい方々の楽しみになるかも知れない。
   書いて下さった方々に了解を得る事が出来ましたので、ここに掲載させて頂きます。
   前回のコンサ-トについて雑誌には「ベテランらしい演奏だった」の一言で片付けられていた。私は、わたくしのこのホームページは、わたしの為だけではなくギター界の為のマスコミなのだと考えて、公正なマスコミの義務として私がわたくしのコンサートの結果報告をさせて頂きます。それは森本忠克さんと渡辺健志さん達の文章と経歴紹介をお読み頂いたらわたくしの言わんとする所は理解して頂けると思います。
   その他コンサートの後、いろいろな方からコンサート評を頂く。その中で特にわたしを喜ばせて下さった言葉がある。それはある時期お知り合いになったチェロを趣味にしておられる方からのものだ。曰く、チェロではあれだけの繊細な演奏と表現は出来ないとのお話だった。この様な事は私のCDを聴かれて「サウンド・オブ・ザ・ギター4」のチェロ組曲のプレリュードとジーグを聞かれた方からも伺っている。

森本忠克さん、ことモリチャンのコンサート評
   松田先生の演奏会いってまいりました(07.11.30東京オペラシティ2007年12月01日22:12)
   昨年同様、最前列で聴き入り見とれていました。
   1年ぶりの松田先生の演奏会は、実に感動的でした。記憶に残る名演奏会でした。
宇宙にむかって解き放され はじけるような強靭で透明な音を奏でる名器トーレスと偉大なる松田先生の温かく深みのある色彩豊かな音楽表現、セゴビア先生への祈りと感謝の気持ちが 完全に一体となったような 記念すべき演奏でした。
   昨年にくらべて、体調もご気分も良いようでした。どんどん気持ちが高揚し 集中力が高まり どんどん音楽の世界にのめりこんでいく感がしました。聴いている方々を ぐいぐい引き込んでいく魔力がありました。
選曲も 大好きなバッハ、セゴビア没後20周年の追悼、スペインの名曲集、アンコールでの50年ぶりに弾くというブラームスのメヌエット(これが、またまた心を打つ絶品でした)、最後に名曲中の名曲ソルのメヌエットまで、贅沢な贈り物でした。
   おかげさまで、珠玉の時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
   今後とも、セゴビア先生にならい、健康にはくれぐれもご留意されて、あと20年は演奏活動、後継者の養成教育を継続されますことを願っております。
   いつも思うのですが、松田先生は、高齢とはいえ、日本のいわゆる名前の通っている現役の有名なギタリストとは格が全然違います。
   松田先生の演奏を もっともっと知らしめる方法はないのでしようか。

森本忠克さん(私がmixiを退会するまでのマイミク友達)
・経歴:昭和16年1月生まれ。現在67歳。(株)クラレを63歳で退社。
・音楽歴:学生時代クラシックギター部に在籍。縄田政次さんの門下。
会社で転勤後、ギターから離れ、バッハの音楽を聴くことにはまっている。
2年ほど前に、クラレの同期で松田先生のお弟子の方から、思いがけなく松田晃演さんのCDが送られてきました。
その時に初めて、松田先生の演奏に接し大発見したような新鮮で嬉しい驚きでした。
なぜ松田さんの存在を今まで自分が知らなかったのか、多くの音楽を愛する方でも、世界に誇れる偉大なる音楽家松田さんが、この日本にいらっしゃる事実を知らない方もいるのではないかと。
松田先生の音楽の批評をマスコミが取り上げないのは不思議だと思っている。

渡辺健志さんこと(目太慕さん)のコンサート評
   昨日、東京オペラシティに松田晃演さん(生徒ではないので先生と呼ぶのは図々しいのでさん付けで呼ばせて頂きます)のコンサートに行ってきました。
   入場が6時20分からにも関わらず、6時には到着。
入場時間まで立って待っていると、エスカレーターから松田さんが白いスーツ姿で降りていらっしゃいました。
思わず頭を下げたものの「松田さんは俺のこと知らないから、誰だ!?どこかで会ってたっけ?」と恐らく混乱させてしまったのではないかと思います。
   その時はじめにギターケースに驚きました。通気口が付いていて、まるでギターが呼吸をしている生き物として扱い、また息子のように大事にしていることが伝わりました。
   暫くして開場となり、5番目くらいに並んでいたので最前列も正面でなければ座れたのですが、ギターホールの響きを真正面から受けたかったので、図々しくも2列目の真正面を取りました。
   周りの方には、図体のでかいのが真ん中に陣取るからさぞかし狭く感じたことでしょう。「申し訳ない!」という気持ちはあったものの、ここが一番楽器の音色をダイレクトに受けられる場所だからそこで聴きたいという気持ちが強く、とても端に行く気にはなれませんでした。
   松田さんがギターを弾き始めて・・・、心底驚きました。
   ギターってあんな音色まで出せる楽器なのかと・・・。
   こんな音色聴いたことが無い!!っていう驚きと、松田さんが思い描いている音楽性がすごく伝わってきました。
   アンドレス・セゴビアを想わせる音色や、松田さんがギターをこよなく愛し、その楽器が奏でられる限界の音色を聴いたとき鳥肌が立ちました。
   自分が弾いてみたいと思ってきたギターの音楽性の範疇を大きく凌駕していました。
   一音一音心を込めて、時には大きく左手をビブラートさせ、時には右手の位置をホール付近で弾いたりブリッジの根元で弾いて硬めの味わいのある音を奏でたり、マミーナさんが言っていた音の長さをどこまで次の音につなげるかでその人の音楽性が変わることが良く解釈できたことなど、真似できる範疇ではないのですが非常に勉強になりました。
   自分もギターの持つ可能性を少しでも引き出せる様に頑張っていこうと思います。
こんなに凄い人とマイミクになっていることが間違いと思われるのですが、自分にとってこんなに幸せなことは無いと感じております。
   コンサートが終わった後、CDを買い松田さんにサインしてもらい、「また何か書いてください。」と気さくに温かい言葉を頂き心より感謝しております。
   これからは松田さんの一人のファンとしてコンサートに聴きに行ける日を楽しみにしています。

目太慕さん(私がmixiを退会するまでのマイミク友達)
子供の時から茅ヶ崎の豊かな自然環境の中から感動を得て感受性を高めて来られた。
自分が心に持つそれらの感動の記憶と経験を何かで現そうとしてそれを言葉で人に伝える事は難しい。芸術作品に触れた時の感動もそれらをそのまま人に伝える事は難しい。彼はそれを自分の力でギター音楽を通じて表現しようとしている芸術愛好家の一人です。それは彼が育った豊かな家庭環境も大きく影響しているだろうと私には思える。

私(松田晃演)のコンサート後記。
昔、チェロのカサルスさんが何かに書いておられたが、「あの時のあの曲のあの演奏は見事だった」と。何時の(実演かラジオの放送かレコーディングか)何の曲の演奏(それとも合奏)の話であったのか、何も覚えていない。20才台のわたしはそれを読んで、何時か自分もそう言える演奏がして見たい。それこそは演奏家になった自分の人生の意味を、つまり、人生が無意味でなかった事の証だろう、羨ましい、と思った。
今回のコンサート(於、08年11月30日―オペラシティー・リサイタルホール)は、そんな風に言えるかも知れない私の演奏の一つでした。

「Sound of the Guitar 3」C.D.を聴いて!

Aさん
   ジャケットのデザインは思いのほか美しい仕上がりで、盤の色も中身のパッションを暗示した、味わいある色合いだと思いました。
   録音は、超現実的な極限の音空間を再現した先鋭的な技術に感じます。ただ、SPとLPを主に聴いている、この頃の私にはデジタルは厳しさを感じます。
   先生の演奏は益々色合いが濃くなり、独自の存在感が強く感じられます。基本的な人間性は「松田晃演」として不変ですが。魂の流浪の果てに到達しえた「壺中天」(註)の響きなのでしょうか。「ただ、憧れを知るもののみ」ゲーテ/チャイコフスキーのように、現実世界の向こう側を見たい欲望が有れば理解可能ですが。(註・「壺中天」 松田晃演著「ギターは星のオーケストラ」後書きを参照されたい)
   19世紀から20世紀初頭にかけてクラシックギターが完成されたわけですが、それ以来、タレガやリョベートやセゴビアやらが表現した楽器の魂。それぞれが、楽器の限界(限界以上)を極めた演奏を行っていたと思うのですが、先生はその上に新たなソノリティーを加えた様に思えます。
   全曲が新鮮で芳醇な演奏録音ですが、圧巻はバッハの前奏曲です。地球誕生から変わらず繰り返されてきた、原初的な風景を連想せずにはいられません。広大な海と空を分ける水平線上に、赤く解け落ちるように太陽が実にゆっくりと落ちていくのです。

Bさん
   送っていただきましたCDは毎日の往復の通勤時に聴いております。(マイカー通勤ですので車の中で・・・)・・・ですから、もう何十回も(70回以上)繰り返し聞いております。これだけ聞いていても、いつも新鮮に感じられるのは何故なのかと思いました。そして、きっとそれはいつも新しい発見があるからだと思います。
   一つ一つの音に力強さ・優しさ・明るさ・暖かさ・切なさなどの違いがあって、先生が表現される音色は無限の広がりを持っているのでは・・・と感じました。
   録音の状況も素晴らしく、フランスに行かれた理由がわかるような気がします。(素人なりに・・・)

Cさん
   CD届きました。ありがとうございました。このCDは心臓に悪いです。ドキドキしてしまいます。ロルカ「ギターラ」の「ギターラよ 五つの剣で 切りきざまれた心よ」の詩を思い出しました。100回くらい聴いたら感想を書けるようになるかもしれません。

Dさん
   CD発売、本当におめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。
世のギター愛好家や音楽愛好家にとりましても、何よりも価値のあるすばらしい贈り物になったことと確信しております。早速聴かせて戴きま   した。今も聴いておりますが、今日はこれで5回目・・です。聴けば聴くほど実に味わい深く、何度かけても聴き入ってしまいます。
演奏もトーレスの音色も、本当に素晴らしいとしか言いようがありません。教会での録音とのことで、響きも期待通りとても素敵ですね。やはりフランスまで録音に出かけられて良かったと私までとても嬉しくなりました。
   どの曲を聴いても、テンポや間など音楽の流れや構成、変幻自在に使い分けられた音色、全てにおいて、知的で真摯で奥深く、本当に魅了されます。先生のギターを愛する気持ちや音楽に対する情熱が心の奥底まで伝わってきて、熱い思いでいっぱいになりました。
   生涯において、途絶えることのない情熱が一体どこからやって来て、先生の中に一瞬とて消えることなく、むしろこうして溢れ続けているのだろう・・とふと不思議に思うほどですが、きっと先生には「音楽の神様」がしっかりとついていらっしゃるのでしょうね。
   これからまた毎日このCDを聴き続けると思いますが、少しでも先生の演奏や音色に近づけるよう、私も頑張って元気な限りは生涯練習に励んでいきたいという思いを新たにいたしました。

Eさん
   これはまさしく先生の人生のひとつの到達点ですね。同時に、世界の音楽界や有識者にとり、貴重な財産ですね。このような音楽に触れられる私(達)は本当に幸せ者です。
ポンセの前奏曲  はやくも背中にざわーと戦慄がはしる・・・なんたる豊かさ!なんたる美しさ、印象深い!
ポンセの前奏曲6番 セゴビア先生が弾いているみたい! この選曲自体が先生の息遣いであり人生哲学・・・
聖母のいとし子  素朴さと静謐さと、一音一音のなんときれいなこと!まるで宝石のよう!
ビラローボスの前奏曲1番 テンポ、唄、間の取り方のなんと絶妙なこと!こんなに豊穣な1番は今まで
に聞いたことがない!
前奏曲3番  私の大好きな曲の一つ。すばらしい仕上がり!まるで小宇宙ですね!自由に浮遊する先生の魂!
バッハの前奏曲 これ、バッハですか!? わかっているけど、なんだか先生のオリジナルみたいですね。
なんたる心地よさ、抱擁感、やさしさ、自然な感じ!
ポンセのワルツ 細部まで行きとどいた神経、消える寸前の音のなんと美しいこと!なんとたゆとう流れ!
ゴヤのカプリース  磨き尽くされた音!実に美しい!物語を聞いているような、遠い昔の祭りのような、プラテーロの一節のようななつかしさ・・・・
ポンセのソナタ第3番 遠く高いところで鳴る神秘な響き、不安と不思議な安らぎと、実存の不可思議を思い起こさせる音楽。本当に先生はいろいろな音色をもっておられる。 深い深いカンシオン・・・控えめな低音、突然ほとばしるエネルギー!

 

第19回
CD3発売直後に頂いた評価
未だこのCDを聴いて居られない方々の為に。

「サウンド・オブ・ザ・ギター3」(―ギターの響きその3―)をフランスで録音し日本で自家製作発売して数年になります。
   そのとき、多くの内外の方々から賞賛のお言葉を頂きました。
   PCの中にそれらの文章が残っているのを発見しましたので、いささか旧聞に属しますがここに掲載させて頂きます。このホームページは今の所、わたしが発信する事が出来るわたし及び、わたしの仲間(音楽を愛する仲間)達の共有のマス・コミュニケーション(機関誌のようなもの)です。気軽に未発表の記事を公開させて頂きたいと思っています。
   CD発売直後にこれらの文を書いて下さった方々のご了解は得ていますので、以下に掲載させて頂きます。
註、蛇足ながら「サウンド・オブ・ザ・ギター4」も発売中です。

なおCD+LP でイギリスのクリストファー・ニューパン氏(ューパン氏は世界的に著名な音楽映画のプロデューサーであり監督。)の「サウンド・オブ・ザ・ギター3」への賛辞も見て頂けます

第20回

ギター音楽の存在価値
ギター音楽の存在価値は何処に在るのでしょう。


    わたしはギターで弾かれる曲、曲目、がギターと言う楽器で奏される意義、意味が無いとギター音楽の存在価値はないと考えます。ギターでなければ出来ない表現が実現出来ていないとギターで演奏される意義が無いと判断出来ます。
    実例を一つ挙げれば、プラテロと私。これはギターでしか、味わえない芸術性をもった曲です。もし「プラテロと私」を聴いて感動を味わいたく思う人がいるなら「プラテロと私」をギターで名演をする人の演奏会場に足を運んで下さる。オーケストラやピアノやヴァイオリンで「プラテロと私」を聴いて見たいと切実に思う人は居ない筈です。
    それではギターに編曲された多くのギター曲。それは演奏、演奏家にもよるが、ギターで為される定番の名演奏、には残念ながら吾がアンドレス・セゴビアのご出馬を待たねば成らない。残念ながらとは、ピアノ曲のギターによる演奏は普通ピアノの名演にはかなわない。これは統べての編曲について言える事かもしれない。チェロはチェロにオーケストラはオーケストラに歌曲は歌曲にといった事に成ってしまうでしょう。
    わたしが目指しているのは、折角セゴビア先生によって開発されたギターのレパートリーを真にギターの、ギターと言う楽器による音楽の演奏の存在価値を高める事です。
    そこでギター演奏の評価の基準を考えてみると、ギターで演奏された曲、曲目がその原曲の名演に勝るのかどうか。これが第1の評価の基準です。(この場合、ギターの為に書かれたオリジナルは別)原曲の方がよい、と判断されたならばそれは、ギターで苦労して弾かなくても原曲の演奏に任せておけばよろしい。ギターで演奏する事は無意味である。
    自慢話で恐縮ですが、わたしがバッハのチェロ曲のギターへの編曲を弾いたとき、あるチェロを弾いている人が、あのような演奏はチェロでは出来ない。あのような、微妙で繊細な表現はチェロでは無理だ、と言って頂いた事が在ります。こんなに嬉しかった事は在りません。これこそはわたくしが今申し上げている、ギター音楽の存在価値が立証された証です。また或る時はピアノを習う為にヨーロッパまで通っている方が、わたしのコンサート終演後に楽屋に来られて「シャッポを脱ぎました」と言って下さった事もあります。
    ギター音楽が他のクラシックを演奏する他の楽器と同等のまたはそれ以上の価値と評価を受けるには今のままではだめである。アンドレス・セゴビアの演奏でしか、ギター音楽の存在価値が評価されないのだとするとこんなに情けない事はありません。詰まり聴衆をその美で魅了する、その溢れる情感で圧倒する、その事が我々ギタリストに課せられた必要不可欠の課題でしょう。演奏する姿や形、又はギターでも出来るのだと誇示する事、例えばスピード等を求め評価しては不可ません。
    ギターを演奏し表現を付ける時に、ギターによってでしか出来ない表現、他の楽器では不可能な表現の仕方があります。それを利用しない手は在りません。
    ギターの演奏会場に足を運ばなければ、(ギターによって演奏された音楽は他の楽器によってはその美への参加、美を味わう人間の喜びを得る事が出来ない、人間の魂は興奮しない)と言う事に成らなければクラシック音楽の楽器としてのギター音楽は何時かは滅びるし、楽器としての存在価値は無くなってしまうでしょう。
    じつにその事の実現のためにわたしは自分の生涯を掛けて情熱を燃やして来たのだろうと思っています。

(第21回)
春のコンサート曲目解説

★ Luis Milan Pavanas 1,4,2,6
ミランはスペインの偉大な作曲家です。これらのパバーナは1530年頃出版されています。彼はもし自分が居なかったらオルフェウス(ギリシャ神話、半神半人の盾琴の名手)も存在しなかっただろう(または評価されなかっただろう)と考えていた節があります。
★ Domenico Scarlatti 2 Sonatas in e + in G
スカルラッティはイタリア生まれの作曲家ですが、スペインの宮廷に仕えたハープシコードの名手です。
ホ短調のソナタはアンドレス・セゴビアの編曲です。スカルラッティのハープシコードの作品の多くはギターの独奏用に編曲されています。2つ目の曲はト長調でセゴビアの名演が残っています。
★ Johan Sebastian Bach  Siciliana, Gavotte en Rond
シシリアーナは6/8拍子で、大体1拍目が付点音符で、ゆったりしたスピードの曲です。ガボットはロンド形式で書かれて居て(テーマが何度か出て来てそれらの間に変奏とも言うべき部分が奏される)変奏は毎回毎に複雑になり長さも長くなって行く。
★ Ferndo Sor Gran Solo Op.14
ソルは古典時代のスペインのギタリスト、作曲家です。グランソロはギターのオリジナル作品の中でも形式のしっかりした大曲です。わたしは、若くて未だ西も東も判らない駆け出しのギター好きであった頃、東京の古道具屋でこの楽譜を見付けてこれはギターの音楽界における地位高める為に是非とも弾かなければならない曲だと信じて、練習しました。少し後にアンドレス・セゴビアによるLPレコードが発売されて初めてその録音での演奏を聞く事が出来ました。スペインでセゴビア先生のクラスでこれを弾いた最初のレッスンでセゴビア先生は目敏く、わたしの持っているこの日本の楽譜に興味を持たれ、貸して欲しいと言われた。わたしの東京で入手した楽譜は実は日本で出版されていた海賊版で、ショット版とジムロック版が対面に印刷されていて、一方はソルのオリジナルで、一方はアグアドが編曲したもので、セゴビア先生にしても珍しい楽譜だったのでしょう。
翌年この曲がスペインでのセゴビア・コンクールの課題曲になりました。オスカー・ギリャは前年のセゴビア先生のクラスに来なかったのでシエナではセゴビア先生の改変部分、発想等を私から聞き出していた。

 

INTERMISSION

★ Mario Castelnuovo=Tedesco    Angelus, Golondrinas,    
カステルヌオーヴォ・テデスコの「プラテロと私」より夕べの祈り、ツバメ
「プラテロと私」は詩の朗読とギター演奏のコラボレイションです。
Angelusはゆうべの祈りまたはその鐘の事です。南スペインの小さな田舎町、夕暮れ時モゲ―ルの教会の鐘の音が、天の七つの回廊から降ってくる色とりどりのバラの花のようだ。ロバの両の目に映る夕陽もまたバラの花だ。
Golondrinasはスペイン語でツバメです。春先に南のアフリカから地中海を渡ってツバメ達が帰って来る。何時もの様に大通りを行ったり来たりする姿を今年は見せてくれない。早く帰って来すぎたのか、今年は春が来るのが遅すぎたのか、電線に泊まる彼等は電線の黒い碍子の様で震えている。寒くて凍え死んでしまうだろう。
★ Federico Moreno Torroba   3Piezas  Fandanguillo, Arada,Albada
トローバのカスティリャ組曲からファンダンギリョ、アラーダ、個性的組曲のアルバーダです。
ファンダンギリョについては、セゴビア先生と若い頃、同じ所に下宿しておられたチェロの大家、ガスパル・カサドさんがわたしが遥々日本からきて、何とも言えず強烈にセゴビア先生に対して憧れを抱いているのを察知されてか、セゴビア先生の若い頃の事を話して下さった。例えば、凄く大変そうに爪を削っておられたお話。(但し、どうやってとか、どんな器具でとか、訊いても判らないし、そこまでお訊きする勇気と言うか機転も効かなかった私)またセゴビア先生が多くの作曲家達に依頼して最初に受け取った曲がこのファンダンギリョであった事を明確に話して下さった。この曲をセゴビア先生は言わば、矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)弾き込んで居られた話は強くわたしは印象に残っています。この曲はセゴビア先生の初期のSPレコードで発表されて居り、アンドレス・セゴビアの自由な発想、音の美しさ(どんなに早く移って行く音にもヴィブラートが掛かっている様な)で言わばアンドレス・セゴビアの特別な、最高の録音版(SPは1枚1曲)と考えられていたと思います。
アルバーダ(朝の唄)はオスカー・ギリャとシエナの街角でギターを出して来て、ああだこうだと話し合いながら練習した事を思い出す。わたしはロンドンでジョン・ウィリアムスから習った湯気のたっているような発想と運指を彼に伝授しました。
★ 3 Piezas Espanolas
スペインの作曲家になるギターの為のオリジナル作品を3ツ集めました。
★ Joaquin Rodrigo Zarabanda Lejana
ロドリーゴのサラバンドはこのプログラム1曲目の作曲家Luis Milanのvihuela(スペインのギターの前身)に捧げるとなっている。遠きサラバンドとは盲目の作曲家ロドリーゴさんが遥かな時代を遠く憧れてインスピレーションを得られたのは事実だろうとわたしは思います。
ロドリーゴさんはセゴビア先生が亡くなられて二年後マドリッドの少し北の地、エル・エスコリアルで開かれたセゴビア・コンクールを視察に来られ、主催者、審査員一同会食をした事はわたしの一生の貴重な思い出になっています。
★ Manuel de Falla Omaggio per Chitarra 、Scritto per Le TOMBEAU de DEBUSSY
ギターの為にM.deファリャが作曲した唯一のオリジナル曲です。これもグランソロと同じく1961年のコンクールの課題曲の1つでした。後年セゴビア先生に日本ツアーの途次伺った話ですが、ベンツでイタリアに演奏旅行に行くとき、ヴェニスまでファリャさんを乗せて上げた。スペインとフランスの国境でファリアさんはセゴビア先生にお礼にと真っ赤なネクタイをプレゼントして下さったらしい。わたしもその国境を列車で通った事がありますが、そこは荒涼とした町で、セゴビアさんとファリャさんが「▽X☆◎XXX・・・・・」等と話し合って居られた情景を想像すると楽しくなります。
ギターと、ギター音楽を賛美し、テーマとしてはドビッシーの死を悼むと言う事になっています。
★ Joaquin Turina Fantasia Sevillana
若い日のあるときラジオをつけたまま、ぼんやりと寝転んでいたらトゥリーナの室内楽(管と弦等による合奏)の演奏がわたしの耳に飛び込んで来た。その演奏はトゥリーナは本格的で、高踏的なスペインの作曲家だなあと言う強い印象を私に与えた。で、後年このファンタジアをコンサートで弾いたとき関西の評論家の松本勝男さんが、わたしの演奏ではなくトゥリーナの音楽の素敵さに言及して褒めて下さったのがわたしを喜ばせた。
この曲はラスゲアド奏法(ギターの弦をジャラジャラかき鳴らす)を多く取り入れているがフラメンコと言う通俗的な境地に墮する亊なくスペインの情感(激しい情熱的感情)を見事に表現する道具としてこのラスゲアド奏法を利用しています。

INTERMISSION

★ 3 Piezas Espanolas Populares (スペインの3つの民謡)
Lo Noi de la Mare
聖母とその子と訳されています。この曲は多分ポンセがギターの為に編曲したのだろうと思います。それにセゴビア先生が手を少し入れられたのでしょう。
El Testament d’Ameria
わたしが最初に手にしたスペイン民謡の楽譜。アメリア姫の遺書と訳されています。楽譜が手に入ったのが嬉しくて2、3日で暗譜しました。その楽譜も海賊版でした。これはミゲール・リョベートのSP盤で当時から有名な曲でした。著名なピアニストで作曲家のモンポウはピアノソロで録音をしています。モンポウさんはわたしがサンティアゴ・デ・コンポステラに行った時講師として来て居られました。
Plany
哀歌と訳されています。これをわたしはNHKの「ギターを弾こう」(1982年)のテーマにしていました。実はその放送中、セゴビア先生が日本に来ておられたのです。わたしはまさか先生がわたしが出演している番組を見て居られるとは夢にも思っていなくて、先生が「NHKに出てやろう」と言われた時、わたしはNHKと交渉しなければと頑張ったのですがNHKは言わば、荷が重いと言うことで断られました。
★ Isaac Albeniz
Granada
グラナダは南スペインのアンダルシア地方の首都です。セゴビア先生が何時も自分はアンダルシア人だと胸をはって言われていました。そのグラナダには世界で最も天国に近いと言われているアルハンブラ宮殿が建っています。グラナダとアルハンブラ宮殿はわたしにはスペイン人の魂なのではないかと思わせられる。そう思っていても間違いではないでしょう。
Sevilla
女房とレンタカーで二ヶ月間スペインとポルトガルを気侭に放浪の旅をした事があります。
セヴィーリャの町の中程を革命の詩人ガルシア・ロルカが血と涙の流れる川、と呼んだガダルキビールの河畔に立って夕暮れ時、寒々とした冬空を眺めていると細い半月と金星が煌めいていた。(世界中何処に居ても冬空に、月と金星が輝いていると、私達はセヴィーリャの月と呼んでいる)そのセヴィーリャは別の顔も持っています。それがこの曲です。生命を肯定する、激しく踊り狂う町です。
★ Enrique Granados
Danza Espanola No.10
ギターを弾く人ならセゴビア先生の名演で誰でも知っている名曲です。わたしは今回初めてこの曲に挑戦しました。旨く行きます様に。

自 己 紹 介 (第22回)

コメント・この春のコンサートのプログラムに載せる予定のプロフィルです。
プロフィルを一新してみようと思いました。

松 田 晃 演(マツダ アキノブ)

わたしは関西のしかも田舎の都市(まち)に住んでいます。
芸術に無縁な神戸大学経済学部を、卒業しています。
人並みに年を取っています。(75才)
人生の総てをなげうって立派なギタリストになるべく勉強して来ました。
現役の演奏家として全力で自分の演奏を進化、発展させるべく、ギター音楽の可能性を追求し、クラシック音楽を演奏する楽器としての「クラシックギター」の表現力の幅を広げ実証して見せようとして日夜努力をしています。
わたしのクラシックギター演奏は「癒し系」音楽とも、「励まし系」とも言われています。
総ての音楽愛好家(ギタリストのみならず)にアッピール出来る音楽を演奏出来るギタリストになりたいと努力していますが、内外の知友からは、わたしの音楽解釈に共鳴するとの賛辞を頂いています。
不世出のスペインの至宝「アンドレス・セゴビア」からは「我が友、芸術家」であるとのお言葉を頂いています。
私は音楽大学卒業の音楽学者ではなくて現役の演奏家(アーティスト)です。(つまりわたしは音楽を学問の対象とは思っていません)
本業はあくまでもクラシックギターの演奏家ですが、後進の指導には使命感と義務感をもって当っていますので、真面目にギター音楽を愛する弟子達には、本物の音楽芸術を体得して頂くべく情熱をかたむけて指導にあたっています。
初心者には、年齢に関わり無くその人たちへの暖かい理解を持って、クラシックギター音楽の素晴らしさを知って頂き情熱を燃やし続けられるよう、また中級、上級の方々にも同じ考えで指導しています。その為には、クラシック音楽への考えと情熱(パッション)を伝えるべきであると思っています。わたしの演奏する音楽がギターを志す人、ギターに興味を持って居られる方達の上達の目標になればギター音楽の前途は明るいと思います。
クラシック音楽はポピュラー系の音楽を対象とするものではないと、わたしが若い頃に受けた教えを静かに伝えていきます。
わたしの使用楽器は  Antonio de Torresです。ハウザー3世さん(わたしが昔、遠く列車でハウザー2世を訪ねていった時、二世の腕に抱かれて2、3才のころの彼が駅に迎えに来ている写真を持っている)は素晴らしいギターを時どきわたしに送って来られる。それは「マツダ・モデル」と称し、私の指示に従ってわたしのサイズで作って下さっている。わたしは目下トーレスによってギター音楽の真実の姿を垣間見、表現しようとし、その業績を残そうとしている音楽家です。そこでハウザー3世は現在のギター製作家の中で最高の芸術家ですから、時期が来ればまた弾きたいと思っています、(今度弾けば人生3度目ハウザーギターを弾く事になります)残念ながら私の家で目下の所は2軍生活を余儀なくされています。しかし今はわたしはトーレスと言う銘器に魂を奪われているのでしょうか。私の魂はトーレスと共に神秘の世界を彷徨っています。
わたくしの業績(コンサート、CD録音等)が、ギター音楽の音楽社会に於ける地位向上に貢献出来れば、この上ない喜びです。「サウンド・オブ・ザ・ギター」シリーズです。
喜びといえば周りの方々のご理解、ご支援本夕ご来席の皆様を含め、有難く心から感謝の気持ちを現させて頂きます。そして我が友トーレス万歳!終わりに、今日まで蔭に日に私を支え、励まし慰めてくれたわたしの女房には言葉に現せない位多くの感謝の気持ちを捧げる。
自己紹介としては一風変わった文章になりましたが、私の事を田舎暮らしの変人であると世間で思われているのではないかと心配して下さっている私のファン及びクラシックギターファンのために書きました。
最後に、わたしはアンドレス・セゴビアの弟子です、と胸をはって言える数少ないギタリストの一人です。そして無理をして言えば、わたしはタルレガの孫弟子です。
CD 「サウンド・オブ・ザ・ギター」2、3、4 ARMレコードソサエティー発売
著書 「ギターは小さな星のオーケストラ」文芸社刊
教本 最新ギター教本等

満員御礼(第23回)

ロンドンで勉強している頃、ジュリアン・ブリームとかジョン・ウィリアムスのコンサートはウィグモアホールなどでチケットを売り出すと数日でHOUSE FULLのtagがチケット売り場(Booking office)の窓口(公演のない普段はホールの入り口の薄暗い広間)にぶら下がります。私のコンサートも何時かこう成って欲しいなと思っていました。今回の神戸公演がいち早くチケット売り切れに成りファンの方でまだチケットを買っていなかった方々にお断りするのに大変苦しい想いをしています。(後で思い出したのですが、私の帰国公演では上野の小ホールが直ぐに売り切れになり追加公演をしたこともありましたし、「プラテロと私」の始めての公演では、渋谷のリトゥルプレイハウスで故岸田今日子さんの朗読を得て3回の予定が6回になった事もありました)

 

プログラム解説追加(第24回)


Luis Milan Pavanas 1(1:30),4(1:20),2(2:03),6(0:57)
これらは初心者でも熱心にチャレンジすれば弾けます。特に1と2は易しい。但しよい楽譜を入手する事。

スカルラッティー
昔、セゴビア先生がハープシコードの往年の名演奏家の一人、ランドフスカさんに面と向かって「ハープシコードは風邪を引いたギターだ、」と言われたとか。
本人に向かって凄い事を言われるのだな、流石セゴビア、と思った事ですが、実は逆にギターはハープシコードを健康にした楽器だと言われているのだと受け取ってもよい。
夢、ギターをハープシコードより劣っているとか、ギターはハープシコードより楽器として劣っているのだとは思わない事です。豊麗な美人歌手が健康な喉で歌う美しい声をギターの音の理想として下さい。そしてギターメイカーさんはそのような音を理想として、そしてそのような音を出す事の出来るギター奏者を頭に描いてギター製作に励んで頂きたい。
私がスペインでのコンクールで受けた「パパス・プヤナ賞」のプヤナさんはランドフスカの直弟子で、コンクールの後ニューヨークで何かの時に(ジョン・ウィリアムスも一緒だったと思うが)ニューヨーク近郊に住んで居られたプヤナさんにお会いした。彼はわたしに、あの時は凄かった、好い演奏だったと未だにコンクールでのわたしの演奏を覚えていて褒めて下さった。プヤナさんはスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラでの公開レッスンの講師であったし、コンクールの審査員の1人でしたが、自分の楽器(あの大きなハープシコード)を何処へでも持って行かれると聞いていた。彼はセゴビア先生と「ポンセのハープシコードとギターの為のコレンテ」のハープシコードをレコーディングしておられる。彼は、ハープシコードの鍵盤に顔がくっ付きそうなくらい、だから手と顔が同じ水平面での演奏スタイルが特にユニークでした。(多分統べて暗譜でしか弾かれなかったのでしょうか?)
スカルラッティーはハープシコード奏者です。それでギターに編曲して弾ける曲目はギターの特性を生かせてギターで弾けば原曲にない一つの魅力を引き出せる可能性があります。
プヤナさんに何年か後に出会ったのは、思い出すと、ジョン・ウィリアムスと一緒で確か空港での会話だったと記憶しています。その時私はギターのオリジナルの曲も何時かハープシコードに編曲して弾けるのではないでしょうか等と会話が弾んだことでした。
ジョン・ウィリアムスに空港の書店で何か飛行機の中で読む面白そうな本を推薦して欲しいと頼むと、これしかないと、示してくれたのがイワン・フレミングの007シリーズでした。

序でながら
Joaquin TurinaのFantasia Sevillanaの楽譜はこの「パパス・プヤナ賞」のパパスさんが出版して居られる。Washington D.CのColumbia Musicが彼の会社で、かれは全米のギター・ソサエティーの創設者であり会長だった。楽譜出版社の住所はColumbia Music Co. Washington 6, D.C.です。彼はわたしの演奏会をWashington D.C.で何度か主催して下さった。Washington D.C.に行くと何時も彼の家に泊めて頂いていたが、そこにはセゴビア先生もよく泊まられたという話を聞いて、凄い事も在るものだなと心底(しんそこ)感心した(当時のわたしとしては、あり得ない事の様に感じた)。また、彼の指示で彼の弟子の案内でWashingtonの町を自転車でぐるぐる回ったが、それは今回のオバマさんの就任演説の会場になったあの広場を見物させてもらったので、それを昨日の事の様に覚えている。パパスさんはスペインでのセゴビア・コンクールの後、当時貴重だった爪磨き用のダイヤモンドを貼り付けたファイラーをプレゼントして下さったのも記憶に新しい。ファイルとは磨く、削ると言う意味があります。
そして序でながら、わたしは「サウンド・オブ・ザ・ギター2」に日本の誇る本庄礼子さんとポンセのギターとハープシコードのためのソナタ、全3楽章を録音発売している。この曲も「ハープシコードとギターの為のコレンテ」に劣らず素晴らしい曲です。

 Fernando Sor  Gran Solo Op.14
スペインでのコンクールの前、チェロの巨匠ガスパル・カサドさんは、わたしがコンクールに出場すると知って、「さむらい、さむらい」といって励まして下さった。侍精神で行けと言う事らしかった。いまのさむらいジャパンでその事を思い出した。そこでカサド先生は、一寸見てやろうと私の演奏を聞いて下さった。今わたしが覚えているのはこの Ferndo SorのGran Solo Op.14を教えて貰ったことです。マエストロ・セゴビアには言はないで、と念を押しながら、セゴビア先生と少々違う運指、と発想を教えて下さった。その他わたしが覚えている事は「コンクールは嫌いだ。何故なら2本の木があって、1本が大きくなれば1本は枯れる。」と仰っていた事だ。

Mario Castelnuovo=Tedesco    Angelus, Golondrinas,    
最初にわたしが「プラテロと私」をソロで弾いた時、評論家の故松本勝男さんはろばにあまりにも沢山の重荷を載せすぎているのだろうかと評されていた。ギター1本の背中にスペインの田舎町に住むろばと詩人の情感とアメリカのハリウッドに住むイタリア生まれのユダヤ系作曲家の思い、を載せてわたしが悪戦苦闘しているように見えたのだろうか?
ノルウエイで演奏した時、或る評論家がわたしの演奏を聞いて翌朝の新聞に、スペインの革命の詩人ガルシア・ロルカがギターについて歌った詩、「わたしの胸に5本の剣が突き刺さった」を思い出したと書いて下さった。(解説の本文、セヴィーリャの項参照)
セヴィーリャと言えば、わたしが若いときから抱いていた印象は科学の町、セヴィーリャという音の冷たくて理知的、だったが(グラナダという音の響きは柔らかく丸いが、)セヴィーリャという音楽作品に対して私の持つ印象はグラナダよりもっと熱く丸いものでした。セヴィーリャはスペインが世界を征服した頃は世界の科学の中心地であったとわたしは学んでいましたのでそう思っていたのです。この言葉の音のわたしに与えていた印象と曲の印象が全く違うもので、つい最近迄曲のセヴィーリャと学校で学んでいたセヴィーリャは全然結びついていなかった。ただこの町にわたしの愛するAntonio de Torresが住んで、ギターを作っていたのだと思うと、矢張り丸いセヴィーリャと科学のセヴィーリャは結びつく。詰まり、ギターを作る時には科学も丸さも必要なのです。

(第25回)
フランシスコ・タルレガ - 追加の追加(九州のみ)

ギター音楽の父と言われています。
わたしの自慢は、タルレガの直系の弟子であるエミリオ・プホールさんに、タルレガの、例えば今回弾くパバーナなどを直接にお教え頂いたことです。出版されているタルレガ作のパバーナはタルレガが生前、変更されていてわたしに教えて下さったヴァージョンが正しいのだと言えます。そのような事はセゴビア先生の多くの楽譜でも言える事かも知れず、わたしが弾いているセゴビア先生の楽譜のヴァージョンはわたしとしましては全く自信を持ってこれが正しいのだと言って弾けるものですし、音楽家として音楽的に自然であり美しいと納得出来るヴァージョンをあれこれ経験して持っているとそれは宝物の様に思えて来ます。
もう一つ言える事は、タルレガが弾いていたAntonio de Torres作のギターを生き生きとした状態で演奏出来ると言う事も大きな喜びです。タルレガが作曲する時に受けたインスピレイションはトーレスの音からであったに違いないのですから、そのトーレスでタルレガの作品を演奏出来る事はやはり感謝しなければならない巡り合わせなのでしょう。
アルハンブラ宮殿はわたしにも思い出の深い所です。セゴビア先生の映画撮影の助手として10日ばかり滞在しました。統べての撮影が終わってセゴビア先生は腰を延ばして暫くの間、感慨深げに周りを眺め渡してアルハンブラ宮殿を後にされました。先生、83才のときでした。セゴビア先生のギター音楽が深夜、その美しい庭に何度も響き渡った、その思い出を「アルハンブラ宮殿の想い出」としてギターで弾けるわたしは何と恵まれているのでしょう。

 

繊細な音色の力強い浸透力(第26回)
~松田晃演クラシックギターコンサート「スペインのギター音楽」2009年3月13日~
東京オペラシティリサイタルホール
ギター演奏レビューno.1

大橋伸太郎

    松田晃演氏の2009年の東京コンサートに入場した時、コンサートはすでに始まっていて、スカルラッティの「二つのソナタ」の演奏が終わったところだった。東京オペラシティのリサイタルホールは松田晃演氏のギターに魅せられた人たち、世評に高い音色を一度は聴きたかった音楽ファンで埋まっていて私は客席のほとんど最後列に着席した。J.S.バッハの「シシリアーナ、ロンド風ガヴォット」の演奏が始まると、松田晃演氏と楽器が一体になって底光りするような音を紡ぎ出し、ふくよかな音色と深く典雅な響きが空気と溶け合い、演奏会場の隅々までみるみる満たしていった。いうまでもなく、ギターという楽器の音量は決して大きなものでない。しかも、科学的な検討を加えて音響的な改良を重ねられた現代のギターならともかく、演奏者が手にしているのは、1894年製のトーレスである。さらに、氏がコンサートで選ぶ曲目は、ダイナミックな演奏効果を狙ったものでなく、古典時代から近代までの正道に立ち、そこに現代の演奏家が手掛けない秘曲を交え、ギター音楽の真髄を聞かせる厳選され妥協のないものである。それでありながら、決して手狭でなく大勢の信奉者たちで埋まった演奏会場の空間の隅々まで、豊かな音楽の波動が力強く届き聴き手を酔わせるのはなぜだろう、と考えた。この音楽の浸透力はどこから生み出されるのか、と。
    松田晃演氏の演奏、あるいは演奏家個人と接していつも思い浮かぶ印象は、敬虔さと「畏敬」である。氏がアンドレス・セゴビアの生前、日本におけるただ一人の正弟子であることはよく知られている。氏の音楽はターレガからセゴビアへと受け継がれ発展し、芸術としての地位を確立した近代のギター音楽を正式に継承し、その上で個人として表現を深化させたものである。今日、クラシックギターは特に日本で人気があり、新旧多くのプロ演奏家たちが、クラシックの楽器としてのユニバーサリティを印象付けるために、他の楽器、あるいはオーケストラのために書かれた曲の編曲版の演奏と録音を競っているが、氏はこうした傾向と一線を引いている。この夜演奏された、J.S.バッハの古典的編曲版、セゴビアの手になる「グラナダ」(I.アルベニスのピアノ曲の編曲)、聴衆を前に今回初演奏されたやはりセゴビアによって編曲されたE.グラナドス「スペイン舞曲第10番」にみられるように、松田氏は、ギター音楽として先人達によってオリジナルな生命を吹き込まれしっかりと根を下ろした曲だけを入念に磨きあげて渾身の演奏を行う。氏は自著「ギターは小さな星のオーケストラ」でこう語っている。「たとえば、オーケストラの曲をギターで演奏して喝采を浴びても、決して、ギターのために役立っているとはいえない。何故なら、ギターによる演奏がなくても(オーケストラで聴けば)その曲をいつでも楽しむ事ができるからである。ギターという楽器が滅亡しても-中略-その曲を聴きたい人は全然困らない。ギターの演奏家がいなくてもその曲のオリジナルを聴けばよいのだから。」私が松田氏に感じる「畏敬」の第一は、ギターというすべての楽器中、最も古い起源と長い歴史を持ち神秘的な音色を持つ楽器と、それを守り発展させてきた先人演奏家、作曲家への氏の深い畏敬である。もちろん、多くの弟子を育てた音楽指導者でもある松田氏の視線は、21世紀が向う先を見つめているのだが、その演奏からは自身が背負っている伝統への深い献身が窺われる。孤独で密やかな舞台の演奏姿の背後から、大きく深い滔々とした音楽の流れが聞こえてくる。氏の音楽はきらびやかなものではない。しかし、邪念のなさ、ギター音楽への純粋で深い献身が氏の演奏に土や木のような香気を与えているのだ。

    松田氏のギター演奏を最初にコンサートで聴いた時、「これまで聴いた他のどの演奏家とも音色が違う。」と感じた。それから何度も氏のコンサートを聴いたが、会場が変わっても音色は不変である。この夜も同じ思いだった。私はアンドレス・セゴビアの生前の演奏を聴いた経験がないので、セゴビアの音色と比較できないのだが、度重なるコンサート体験の末に、松田晃演氏がトーレスと一体になって紡ぎだす自然体の音の境地こそ、ギターの本来の音色と信じるようになった。私が松田氏に感じる「畏敬」の第二は、音楽への畏敬である。先述の著書で氏はこう語る。「ギターのコンサートは作曲家の作品、つまり音楽を聴きにくるのではなくて、ギターの演奏を聴きにくるのだと思っている人が時々いる。それは-中略-ギター音楽の普遍性とか真実性を完全に無視した考え方である。」これは、先に書いた、ポピュラリティを狙った現代編曲を手掛けない氏の姿勢と表裏一体のもので、個人演奏家が身を投げうってその本質を磨き上げ開花させていってこそ、本物の音楽が聞こえてくるのだ、という信念が込められている。氏はこうも書いている。「心を集中して、多くの聴衆を前にして演奏しているとよく判るのですが、自分の音がどの程度まで流れ、届いているのかまたは逆に言えば、どこまでしか届いていないのかが感じられます。どこまでも流れ流れて伝わっていくと感じることが出来ると、-中略-力いっぱい空気をふるわせて、思いのありったけを音に乗せて歌うことが出来る。」氏が演奏し聴かせているのは、「松田晃演」でなく純粋な音楽そのものである。

    松田氏に感じる「畏敬」の三番目は、自然への畏敬である。音楽の起源が、叫びやささやき、祈りに加え自然のさまざまな音であったことは容易に想像できる。最も古い起源をもつ楽器であるギターの音色は、すべての楽器の中で自然の音の豊かさ、多様さに最も近く感じられる。人間の五感の中で原始時代から最も鋭敏なのが聴覚であり、人間はどれほど遠くの小さな音も聞き取って分析する。氏が語るように物体は空間的に有限だが、音は(たとえどれほど小さくても)その場の全空間を占有することができる。トーレスという製作後114年を経て己の生命を持った楽器と一体になり、松田晃演氏の演奏は、自然の音響の天衣無縫さ、変幻自在に限りなく近付く。そうなさしめるものは、私たち人間もまたその一部である自然への氏の深い畏敬の念である。松田氏の演奏は決して大音量でないのだが、豊かな音の波動を、一瞬たりともその姿が同じでない海のようにたゆみなく送り出し、演奏会場の隅々まで沁み入るように行き渡らせる。静穏で脈々とした生命感、生動感こそ、松田晃演氏の演奏を他とを分つものであり、芸術(音楽)が自然の音響の純粋の域にまで昇華された稀な境地をそこに見る。
    この夜、氏はスペインのギター音楽を中心に全23曲を二度の休憩を挟んで演奏、アンコールにポンセの「24のプレリュード」の第6番、ソルのメヌエットを演奏してコンサートを終えた。約2時間半。決して長い演奏会ではなかったが、今年も東京の聴衆はみな満足されたことだろう。早春の夜も更けて、氏は演奏の温かな余韻の漂う会場ロビーで、来場者の一人一人に親しく声を掛けられた。ステージを降りた氏の温かく静かな笑顔にふれて、来場者が一様に抱いたのは、いい音楽を聴いたという満足感だけでなかったろう。私もまた、「畏敬」の念を持った献身的な、同時に力強い不屈の音楽家が私たちの近くにいる幸福を実感した一人だった。

註―写真は09/3/13東京オペラシティーにて

大橋伸太郎氏 プロフィール

1956 年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、『少年少女名作絵画館』(全十巻・日本図書館協会、全国学校図書館協議会選定図書)等、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AVREVIEW』編集長、1998年には日本初にして現在も唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。2006年に評論家に転身。オーディオビジュアルとホームシアターのオーソリティとして、パイオニア、パナソニック、エプソン販売、ソニー、DTS、オーエス、ルートロンアスカ、東京建築士会等の依頼による講演多数を手掛ける。「トゥナイト2」、「特ダネ!」を始めテレビ出演も多い。寄稿誌には上記に加え、ファイルウェブ(音元出版)、『SLOW』(ワールドフォトプレス)がある。現在、「変わる、家庭の見る、聴く、遊ぶ」を全国地方新聞各紙に執筆中。毎週土曜日に地元のコミュニティFM局「鎌倉FM」で、1960~70年代のロック、ポップスをオンエアする一時間番組「APPLE JAM」(82.8MHz)のDJを務めている。

最新評論

  ギター演奏レビューno.2 (第27回)
「名器トーレスとともに、いっそう輝きと深みを増す松田ギターの世界」
松田晃演クラシッックギターコンサート「スペインのギター音楽」
    2009年3月13日
  東京オペラシティリサイタルホール

      オーディオ評論家 林 正儀

  「サウンドオブザギター4」のCD評や、松田晃演さんの演奏評を書かせていただいている私だが、今回2009年3月13日の東京コンサートは、格別の想いで会場へ足を運ぶこととなった。というのも松田さんは昨年の夏、ギター演奏家にとって命ともいうべき指を負傷された。一部の方はご存じであろうが、昨秋のコンサートを断念。指の完全回復を待ってのこのステージを、松田ギターを愛するすべての人とともに喜びたい。
  いつものように私は、ホールの右手前方に席をとり、開演を待った。ここだと松田さんの登場を誰よりも早く見られるからである。そして左手の動きも……。
  暖かい拍手のなか、愛器トーレスとともに白いスーツで現れた松田さんは普段のままの自然体。水をうったような静けさがあたりを包み、L.ミランの「パバーナ」が流れはじめる。おだやかなテンポだ。とても静かでありながらゆるぎのない安定感があり、一音一音が心に染みてゆく……。これだ!この音、この響き。キラキラと装飾音の散りばめられた、ハープシコードのようなスカルラッティの曲に入ると、私の頭から一切のことが消え、もう松田ギターの世界に入り込んでいた。   
  そしてセゴビアの愛弟子でもある松田さんを通して、以前レコードで聴いたことのあるセゴビアの音形が彷彿として浮かび上がる。まるでギターに神が宿るかのように。「私の魂はトーレスとともに彷徨しています」という境地であろう。
  そして松田ギターの、私がいつも感じている特徴だが……。小さいはずのギターの音が演奏が進むにつれて、とても大きく、豊かに力強く訴えかけてくることだ。低音もたっぷりと厚い。「ギターは小さな星のオーケストラ」にも書かれているのだが、ときには100人のオーケストラにも匹敵するような多彩な空間が提示されることに感動する。楽器が暖まって調子が出るという次元ではなく、松田さんの解釈「生き生きとした音の流れ」がそこにあるのだ。
  演奏は3部に分かれる。1部ではバッハ、ソルと続くのだが、ギターのことをあまり知らない私にも、「シチリアーナ」や「ロンド風ガボット」は心に響く。心の鐘を鳴らしてくれるのである。セゴビアコンクールの課題曲にもなったフェルナンド・ソルの「グランソロOp.14」はかなりの大曲だ。松田さんが若いころ「われこそこの曲を広めなければ!」と志した出会いの曲でもある。オペラや交響曲も手がけたソルらしく、悠然として力強く、また大きな跳躍にオクターブの連続など難易度も高い。哀愁を帯びたメロディラインとはじけるような旋律の乱舞が、聞き手を満足させる。「スペインのギター音楽」と呼ぶにふさわしい一部の締めくくりであった。
  ここでアントニオ・デ・トーレスに少し触れたい。トーレスは生涯に310本のギターを製作。85~90本のギターが現存しているという。ギターのストラディバリウスと呼ばれるトーレスと松田さんとの出会いは56才頃のことだ(後期の1894年製)。密度の高い、人を魅了する音は深山幽谷のブッポウソウの声にも例えられよう(前著より)。  第2部はテデスコではじまる。アメリカの演奏旅行中に直接本人に会い(氏の邸宅にはハイフェッツもいた!)、「ギタリストは、ギターのレパートリーにテデスコの音楽があることを感謝しなければならない」と説く松田さんだから、今夜の「夕べの祈り、ツバメ」はまた格別なのである。南スペインの教会の鐘の音を模した、詩情豊かなギターのつまびきが美しい。感じる色は何だろうか。それはロバの両目に映る夕陽、夕焼けに映えるバラ色のハーモニーだ。聴いているだけで、何だか詩人になったような気分である。ツバメのもの哀しい旋律も聴衆の心を打つ。
  トローバでは、舞踊曲風の激しいフレーズなど披露。続いて「3作曲家のスペイン曲集」では松田さんによる曲目の解説も入り、なごやいだ中での演奏である。ロドリーゴとの会食の様子がプログラムにも記されているが、それを目に浮かべながら「遠きサラバンド」を聴くと、染み込むように遥かな時代が回想できるだろう。トゥリーナの「ファンタジア」の印象も強烈だ。ここでの松田さんの天衣無縫なラスゲアド奏法(かき鳴らす)は、安っぽいフラメンコではなく、高貴なギター芸術の香りに満ちているのだ。

  インターミッションをはさんだ第3部は、さらにスペイン情緒豊かで、初心者にも親しみやすい演目が並ぶ。「3つのスペイン民謡」から「聖母とその子」は、誰もが口ずさみたくなるとても甘美なフレーズだ。名器トーレスのビブラートは絶妙であり、短調に変わるあたりは……泣ける。「アメリア姫の遺書」や、NHKの「ギターを弾こう」のテーマにされていた「哀歌」など、こうした演目ひとつにも、松田さんの心配りの細やかさが感じ取れるではないか。
  第3部でのハイライトは、やはりイサーク・アルベニスであろう。本来はピアノの名手、「新しきリスト」ともてはやされ超絶技巧で知られるアルベニスだが、ギター用に編曲された「グラナダ」「セビリア」などとても民族色豊かで、そのメロディはたとえようもなくロマンティックなもの。グラナダとはスペイン語でザクロ(グラナダ市のシンボルマーク)だそうだが、実際にその地を旅された松田さんならではのリアルな表現と、底光りするような琴線に触れたギターサウンド。今日いる人のすべてが、一期一会の名演奏に酔いしれたことだろう。
  ステージの最後に、グラナドスの「スペイン舞曲第10番」に初挑戦するあたりも、恩師セゴビアへの敬愛の念が感じられた。

 気がつくと、ほぼ全部の演目をなぞっていた私である。1曲たりともおろそかにはできない。ひとりの「ギター聴き」として、あの日、目の前で演奏されたステージの一部始終を伝えなければ、との強い想いからだ。木のホールの優美な響きを味方につけた、喜びと生命力に溢れた「癒し系」「励まし系」のサウンド。名器トーレスとともに、いっそう輝きと深みを増す松田晃演のクラシックギターの世界に、あなたをぜひ誘いたい。

註―写真は09/3/13東京オペラシティーにて

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